昭和歌謡文化の輝きを後世に繋ぐことが、本会の目的です

第14回研究発表回(2018/7/21)

第十四回 昭和歌謡文化継承委員会 研究発表会

Maihama,Summer of Love Part2

 

◆日時

2018.7.21 SAT  OPEN 17:30/START 18:30

 

◆会場

『SPA&HOTEL 舞浜ユーラシア  新館1階宴会場カスケード』

千葉県浦安市千鳥13‐20 舞浜駅北口よりシャトルバスで約5分

047-351-4139

 

◆出演者

仲村瞳(ボーカル)、タッキー(ボーカル)、早坂望美(ボーカル)、サリー久保田(ベース)、国吉静治(フルート)、中森泰弘(ギター)、中山努(キーボード)、笹井享介(ドラムス)、松本健一(サックス)、井谷享志(パーカッション)、東陽片岡(総合司会)

◆参加費

お一人様 S席¥20,000 A席¥10,000 飲み放題&軽食(ビュッフェ)付き

 

■セットリスト&曲解説■

 

 

『恋のバカンス』

昭和38年4月発売 歌:ザ・ピーナッツ

作詞:岩谷時子 作曲・編曲:宮川泰

レーベル:キングレコード

昭和30年のデビュー曲『可愛い花』をはじめとした、国外楽曲のカバーを多く歌っていたザ・ピーナッツ。オリジナル楽曲としては、昭和37年にリリースした『ふりむかないで』に次ぐ大ヒット曲となったのが『恋のバカンス』である。当時、ザ・ピーナッツが所属する渡辺プロダクションと、繊維を扱う東レとで共同企画した新商品の名前が「バカンス・ルック」。そのキャンペーンソングとして作られた曲であり、ヒットにより「バカンス」という言葉もトレンドとなる。昭和38年の日本レコード大賞では編曲賞を受賞し、ザ・ピーナッツは紅白歌合戦に出場。ソ連では1965年に歌手のニーナ・パンテレーエワがカバーしたことで流行し、現在のロシアでも歌われている。幅広い人種と世代に愛され続けている、日本が誇る名曲の一つである。

 

『シーサイド・バウンド』

昭和42年5月発売 歌:ザ・タイガース

作詞: 橋本淳 作曲・曲:すぎやまこういち

レーベル:日本グラモフォン(ポリドール)

ザ・タイガース、2枚目のシングル。50万枚を超える大ヒットを記録しGSバンドの中でも抜きんでた存在となった。としてそのライナーノーツにも現在は同じ家に住み、合宿生活を送っています」と書かれているように、当時のメンバー、沢田研二(ジュリー/ボーカル)、岸部修三(サリー/ベース)、森本太郎(タロー/リズムギター)、瞳みのる(ピー/ドラム)、岸部シロー(シロー/リズムギター)が同居していた事実がある。かつてのグループでは、そのようなことも珍しくなく、ジャニーズなどでは、いまも受け継がれている。1960年代、歌とステップを取り入れたニュー・リズムが流行していた。1968年に流行したブーガルーのように主に海外から入ってきたムーブメントだが、この曲は、阿波踊りや鞠つきがヒントに作られたという。

 

 

『潮風のメロディー』

昭和46年10月発売 歌:南沙織

作詞:有馬三恵子

作曲・編曲:筒美京平

レーベル:CBS・ソニーレコード

クリスチャンネーム「シンシア」の愛称で親しまれたアイドル歌手の南沙織。『潮風のメロディー』は、昭和46年に鮮烈なデビューを果たしたシングル曲『17才』(作詞:有馬三恵子 
作曲・編曲:筒美京平)に続く2枚目のシングル曲。沖縄県から上京してきた南沙織に「南の海からやってきた少女」という印象を付けるために、南沙織のプロデューサーである酒井政利が筒美京平に依頼してイントロをアレンジ。海辺の砂浜と潮風の香りを感じさせるような曲調に仕上がっている。作詞は、曲名を先に酒井政利が決めて、有馬三恵子がその曲名を基に詞を書くという方式。南沙織の特長とそのイメージをシンクロさせた楽曲作りとプロデュースで、絶大なる人気を誇った。同じ昭和46年歌手デビューの小柳ルミ子、天地真理と「新三人娘」と呼ばれた。

 

『真夏のあらし』

昭和45年8月発売  歌:西郷輝彦

作詞:阿久悠 作曲・編曲:川口真

レーベル:日本クラウン

西郷輝彦が22歳の時に発表した56枚目のシングル曲であり、昭和45年第12回日本レコード大賞・作曲賞受賞曲である。西郷輝彦は、昭和39年発表のデビューシングル曲『君だけを』、4枚目のシングル曲『十七才のこの胸に』(両曲共、作詞:水島哲  作曲・編曲:北原じゅん)で、第6回日本レコード大賞・新人賞を受賞。デビュー当時は「太陽の王子」と呼ばれ、橋幸夫(昭和35年デビュー)、舟木一夫(昭和38年デビュー)と「御三家」として人気を博した。『真夏のあらし』は、曲中「ワァオ!」や「イェイ イェイ イャオ!」と絶叫する魂のこもったロックテイストの強い楽曲。それまでの青春歌謡からの変貌は話題となり、そのインパクトは後にも影響を与えた。1994年小堺一機と関根勤のラジオ番組名「コサキンDEワァオ!」でも使われている。

 

 

『太陽にほえろ!メインテーマ』

昭和49年6月発売 演奏:井上堯之バンド

作曲・編曲:大野克夫

レーベル:ポリドール

『太陽にほえろ!』は、昭和47年から昭和61年まで、日本テレビ系列で放送された刑事ドラマである。主演の石原裕次郎、ボスと呼ばれ、他の刑事も皆ニックネームで呼ばれた。刑事を主に描いた新しい刑事ドラマで、各刑事の殉職シーンは話題となり、人気を集めた。メインテーマを演奏する井上堯之バンドは、昭和46年ギター・井上堯之(元ザ・スパイダース)をリーダーに、オルガン・大野克夫(元ザ・スパイダース)、ベース・岸部修三(元ザ・タイガース、昭和50年俳優転向後『岸部一徳』に改名)、ドラムス・原田裕臣(元ミッキーカーチス&サムライ)で結成。前身バンド、PYG(ピッグ)のボーカルだった沢田研二(元ザ・タイガース)のソロ活動をバックバンドとして支え、同じくボーカルで俳優に活動をシフトした萩原健一(元ザ・テンプターズ)の出演作品のサウンドトラックを主に手掛けた。

 

『ヤングマン(Y.M.C.A.)』

昭和54年2月発売 歌:西城秀樹

作詞:Henri Belolo・Victor Wills訳詞:あまがいりゅうじ 作曲:Jacques Morali編曲:大谷和夫

レーベル:RCA(RVC)

西城秀樹の28枚目のシングル曲で、アメリカで昭和58年にヒットを記録したヴィレッジ・ピープルの『Y.M.C.A.』のカバー曲。「Young Man Can do Anything」を略したYMCAの4文字を、「♪すばらしい Y.M.C.A
Y.M.C.A」という歌詞に合わせて、手の振り付けで表現。ダイナミックで、スポーティなステージングで、一大ブームを巻き起こし、昭和58年、第10回日本歌謡大賞、第12回日本有線大賞・有線音楽賞を受賞。西城秀樹は、同じ昭和47年デビューの郷ひろみ、昭和46年デビューの野口五郎と共に「新御三家」と称された。3人の中で西城秀樹は、ロック系のポピュラー音楽の楽曲を主に「情熱的でセクシーな男性的魅力」を前面に打ち出す。そのコンセプトに見事にハマった『ヤングマン(Y.M.C.A.)』は、西城秀樹の最大のヒット曲となった。

 

『ギャランドゥ』

昭和58年2月発売 歌:西城秀樹

作詞・作曲:もんたよしのり 編曲:大谷和夫

レーベル:RCA(RVC)

西城秀樹は、昭和47年に『恋する季節』(作詞:麻生たかし  作曲:筒美京平  編曲:高田弘)で歌手デビュー。以来約10年間所属していた芸能事務所・芸映を昭和58年に退社し独立、アースコーポレーションを設立する。その時期に、西城秀樹から「協力して欲しい」と依頼を受けたシンガーソングライターのもんたよしのりが作詞・作曲した楽曲が『ギャランドゥ』である。西城秀樹の44枚目のシングル曲として発売されたこの曲は、もんたよしのりが「自分としては最大の自信曲を贈ったつもりです」と語るように、見事ヒットを記録。昭和58年、第25回日本レコード大賞で、昭和53年の『ブルースカイブルー』(作詞:阿久悠 作曲・編曲:馬飼野康二)から6年連続となる金賞を受賞。西城秀樹の代表的な楽曲の一つとなる。

 

『雨がやんだら』

昭和45年10月発売  歌:朝丘雪路

作詞:なかにし礼 作曲・編曲:筒美京平

レーベル:CBS・ソニーレコード

朝丘雪路の代表曲。昭和46年の第13回日本レコード大賞で作曲賞を受賞。朝岡雪路は、この曲のヒットで同年末の第22回NHK紅白歌合戦に5年ぶり通算10回目にして最後の出場を果たす。奥村チヨやいしだあゆみ、男性歌手の美川憲一や五木ひろしなど20人以上の歌手がカバーしている。朝丘雪路は、女優・歌手・舞踏家として活動する他、「11PM」(日本テレビ系)で司会・大橋巨泉のアシスタントを昭和41年から約15年務めるなどタレントとしても活躍。昭和56年に文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞。昭和60年に日本舞踊・深水流を創設、平成15年に舞台「人生ふたりづれ」などで芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。平成23年に旭日小綬章を受章した時には、「自由に楽しく今まできましたのに、その上ご褒美なんて」と喜びを語っている。おっとりとしたお嬢様キャラで人気を集めた朝丘雪路らしい言葉である。

 

 

『夏の夜のサンバ』

昭和 47 年発売  歌:和田アキ子

作詞:阿久悠 作曲・編曲:森田公一

レーベル:RCA

“和製リズム・アンド・ブルース”の女王の名に相応しく、和田アキ子のソウルフル な魅力が最大限に生かされた名曲。軽快な ハイントロに、「♪ AH~ ハギラギラ太陽が沈んだら男と女はハッシッシ」という歌い出しが印象的。「ハッシッシ」とは、大麻樹脂のこと。 1967 年(昭和42年)の夏、サンフランシコから巻きおこった社会現象メSummer of Loveモにおけるヒッピーカルチャーが日本の歌謡界にも影響を与えたと感じさせてくれる。平成 28 年 7 月に発売されてヒットしたメ m-flo lovers Akiko Wadaモの『HEY!』(和田アキ子と m-flo のコラボ曲)は、『夏の夜のサンバ』と『卒業させてよ』(昭和46年)と『バイバイアダム』(昭和43年)をサンプリングしたファンキーな仕上りになっている。

 

 

 

 

 

 

『マシュ・ケ・ナダ』

昭和38年発売(ブラジル) 歌・作詞・作曲:ジョルジ・ベン

レーベル:コンチネンタル・レーベ

昭和41年発売(ブラジル) 歌:セルジオ・メンデス

レーベル:ユニバーサル インターナショナル

平成23年10月発売 歌:由紀さおり&ピンク・マルティーニ

訳詞:永田文夫

レーベル:EMIミュージック・ジャパン

「♪オー  アリア  アイオ  オバオバオバ」の歌詞で世界的に知られるこの曲は、サンバ・ロック(サンバ・ホッキ)とボサノヴァを基調とした親しみやすい曲調の楽曲。ブラジルの歌手・ジョルジ・ベンが制作、昭和38年デビューシングル曲として発表。昭和41年ブラジルの歌手・セルジオ・メンデスがデビューアルバム「セルジオ・メンデス&ブラジル ’66」にカバー曲を収録、日本を含め各地に広めた。ザ・ピーナッツ、朱里エイコもカバーしている。由紀さおり&ピンク・マルティーニによるカバーは、アルバム「1969」に収録。由紀さおりのヒット曲『夜明けのスキャット』(昭和44年/作詞:山上路夫  作曲:いずみたく 
編曲:渋谷毅)にアメリカのジャズバンド・ピンク・マルティーニが感銘を受けた事がきっかけで実現。「1969」は2011年第53回日本レコード大賞・企画賞を受賞した。

 

 

『砂に消えた涙』

昭和40年発売 歌:伊東ゆかり

作詞:A.Testa・P.Soffici・漣健司 作曲:A.Testa・P.Soffici

編曲:東海林修

レーベル:キングレコード

原曲は、昭和39年に発表された、イタリアの女性歌手ミーナの楽曲。ミーナは、1950年代の終わりから1960年代にポピュラー歌手としてヒット曲を重ね、日本の歌謡界にも大きな影響を与えた。イタリアで楽曲が発売されたその後、弘田三枝子が歌うことを想定し、訳詞家の漣健二が日本語詞を書いた。ミーナ本人もこの日本語詞で歌い、昭和40年に日本語詞とイタリア語詞の歌唱を収めた「砂にきえた涙」のシングルが日本で発売されいる。伊東ゆかり以外にも、ザ・ピーナッツ、竹内まり、岩崎宏美など、数多くのアーティストがカバーしている。とくに、この伊東ゆかりバージョンは、和製ポップスの名手としての彼女の実力が十分に発揮された傑作である。その儚げで優しい歌声と切ない乙女心を描く歌詞とベストマッチ。その後、伊東ゆかりは、昭和42年に「小指の想い出」を爆発的にヒットさせ、昭和44年にはNHK紅白歌合戦・赤組司会を果たし大スターとしての地位を不動のものとした。

 

 

『小麦色のマーメイド』

昭和57年7月発売  歌:松田聖子

作詞:松本隆  作曲:呉田軽穂  編曲:松任谷正隆

レーベル:CBSソニー

松田聖子の10枚目のシングル。『第24回日本レコード大賞』で金賞を受賞している。作詞の松本隆は、この曲で作詞賞を受賞。「♪嫌い  あなたが大好きなの  嘘よ  本気よ」などと、その歌詞からは、強がりつつもオトナの恋を予感する若い女性のイメージが伝わってくる。同年1月、作曲の呉田軽穂(ユーミンの作曲家としての変名)が「赤いスイートピー」で聖子にはじめて楽曲を提供。同年4月発売の「渚のバルコニー」に続き、3連作の最後を飾ったのがこの「小麦色のマーメイド」である。当時のプロデューサーの若松宗雄は、サビの展開の乏しさに不満を抱き「サビに広がりが欲しい」と作曲者のユーミンに改訂を依頼した。しかし、ユーミンは「このままでいきたい」と主張し、結局ユーミンの意見が採用された。のちに、若松は「結果的に大人っぽい楽曲になり成功した」と語っている。

 

 

『真赤な太陽』

昭和 42 年 5 月発売
 歌:美空ひばり

作詞:吉岡治 作曲:原信夫 
編曲:井上忠夫

レーベル : 日本コロムビア

昭和42年3月に発売された『ブルー・シャトウ』で大ヒット中であった、ジャッキー吉川とブルーコメッツと美空ひばりが組んだ曲。グループ・サウンズ(以下GS)の演奏で、国民的スターが歌い、140万枚の売り上げを記録した。GS黄金時代を象徴する1曲でもある。当時、ジャッキー吉川とブルーコメッツの演奏力はGSの中でもずば抜けていた。美空ひばりは、当時30歳。流行のミニスカートをはき、ゴーゴーダンスを踊って歌うなど、それまでのイメージを一新する演出が大きな話題を呼んだ。もともと、芸能生活20周年記念アルバム『歌は我が命~美空ひばり芸能生活20周年記念』に収録するために製作された曲であったが、スタッフや母の加藤喜美枝の評判が高く、アルバムからシングルカットに変更されたと伝えられている。

 

『太陽は泣いている』

昭和43年6月発売 歌:いしだあゆみ

作詞:橋本淳 作曲・編曲:筒美京平 
レーベル:日本コロムビア

いしだあゆみが歌手デビュー後約4年間在籍したビクターレコードから昭和43年日本コロムビアへ移籍して第1弾で発売されたシングル曲。橋本淳は、独自性の高い歌唱法のいしだあゆみにビクター時代から注目していた。この曲の約半年後に「ブルー・ライト・ヨコハマ」(作詞:橋本淳 作曲・編曲:筒美京平)が発売されている。通産24枚目にしてヒットを記録、歌手・いしだあゆみが確立された楽曲といえる。昭和46年両A面シングル曲『夢でいいから/太陽は泣いている』として再発売、ジュディ・オング(昭和44年)、山内恵美子(昭和53年)原由子(平成14年)、桑田佳祐など数多くの歌手にカバーされている。

 

『太陽がくれた季節』

昭和47年2月発売 歌:青い三角定規

作詞:山川啓介 作曲:いずみたく 編曲:松岡直也

レーベル:日本コロムビア

「♪君は何を今 見つめているの」と始まるこの曲は、昭和47年から48年に放送された学園青春ドラマの代表格「飛び出せ!青春」(日本テレビ系  主演:村野武範)の主題歌。青い三角定規はデビュー2年目に、この曲で大ヒットを記録し、昭和47年の第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞、同年第23回NHK紅白歌合戦への出場を果たす。彼らのプロデューサーとして関わったのが、稀代のヒットメーカーの作曲家・いずみたくである。第5回日本レコード大賞・作曲賞受賞の『見上げてごらん夜の星を』(昭和38年  作詞:永六輔  編曲:渋谷毅)や、第11回日本レコード大賞受賞『いいじゃないの幸せならば』(昭和44年  歌唱:佐良直美 
作詞:岩谷時子)など、作曲・編曲した作品は1万5千曲に及ぶ

 

 

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