昭和歌謡文化の輝きを後世に繋ぐことが、本会の目的です

第2回研究発表会(2015/3/1)

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第二回研究発表会

Springtime in the TOKYO -春よ恋-


◆日時

2015年3月1日


◆会場
ヒットスタジオTOKYO


◆プログラム
・第一部/昭和歌謡研究発表 トークショー
・第二部/昭和歌謡ライブ『Springtime in the TOKYO -春よ恋-』
・第三部/ご当地ソング愛好ライブ『東京アンソロジー』


◆出演者
仲村瞳(ボーカル)、サリー久保田(ベース)、国吉静治(フルート)、中森泰弘(ギター)、中山努(キーボード)、 笹井享介(ドラムス)、松本健一(サックス)、井谷享志(パーカッション)、東陽片岡(総合司会)、タブレット純(ボーカル)
ゲスト・平塚新太郎(日本最長老の流し)


◆セットリスト&曲解説

『春なのに』
昭和58年1月11日発売 歌:柏原芳恵  作詞・作曲 中島みゆき 編曲:服部克久、J.サレックス
レーベル:フィリップス・レコード
当時、人気絶頂であった中島みゆきが、初めて柏原芳恵に提供した曲。シングル曲としては14枚目で、昭和56年発売の『ハロー・グッバイ』に次いで2番目の売上(33万枚)を記録する。オリコンチャート最高位は6位。昭和58年、柏原芳恵は18歳で紅白歌合戦初出場を果たす(白組の対戦相手は『19時の街』を歌った野口五郎)。中島みゆきは、同年のレコード大賞作曲賞を受賞。シンガーソングライターがアイドルに楽曲提供することが盛んな時代であった。平成元年に発売された、中島みゆきのアルバム『回帰熱』にセルフカバーが収録されている。 “皇太子徳仁親王” 皇太子徳仁親王が柏原芳恵のファンで、コンサートへ来場したことは有名な話。『春なのに』も、殿下お気に入りの一曲といわれている。


『早春の港』
昭和48年1月21日発売 歌:南沙織 作詞:有馬三恵子 作曲:筒美京平 編曲:筒美京平
レーベル:CBS・ソニー
南沙織の6枚目のシングル曲で、同年5月に発売された6枚目のアルバム『傷つく世代』に収録される。原曲は5枚目のアルバム『早春のハーモニー』に収録された『ふるさとのように』であった。デビュー曲『17才』から6作続けての作詞家・有馬三恵子、作曲家・筒美京平コンビによる作品。この曲をラジオで聴いたよしだたくろうが感銘を受け、アンサーソングとして昭和49年にかまやつひろしと連盟で発表した曲が『シンシア』である。シンシアとは南沙織のクリスチャン・ネームであり愛称。よしだたくろうは昭和47年に『結婚しようよ』でオリコンチャート3位、『旅の宿』でオリコンチャート1位を5週連続記録するなど、シンガーソングライターのスター的存在であった。


『桜三月散歩道』
昭和48年12月1日発売 歌:井上陽水  作詞:長谷邦夫 作曲:井上陽水 編曲:星勝
レーベル:ポリドール
井上陽水の3枚目のアルバムで、日本初のミリオンヒットアルバムとなった『氷の世界』に収録された曲。作詞を手掛けたのは、漫画家・漫画評論家の長谷邦夫(ながたくにお)。トキワ荘に出入りをしていたメンバーの一人で、トキワ荘グループが設立したアニメ制作会社・スタジオゼロの社員でもあった。その後、赤塚不二夫の、フジオ・プロダクションの創立に参加。赤塚不二夫が責任編集であり、私財をなげうって創刊した雑誌『まんが№1』の編集長となる。同誌は付録にソノシートが付くのが特徴で、『桜三月散歩道』は昭和48年3月号の付録のために作られる。『氷の世界』に収録されている同曲とは異なったバージョンで、平成18年に初CD化されるまでは、ファンの間で激レア曲とされていた。


『ベルベット・イースター』
昭和51年11月20日発売 歌:荒井由美
作詞:荒井由美 作曲:荒井由美 編曲:荒井由実・Caramel Mama
レーベル:EMIレコーズ・ジャパンレーベル
当時、日本人にはまだ馴染みの薄かった、キリスト教の最大にして最古の祭り『イースター(復活祭)』を題材とした曲。祭日は宗派によって異なるが、一般的には、毎年3月21日以後の最初の満月に次ぐ日曜日に行われる。ユーミンには、ローティーンの頃から米軍基地に出入りしていたという逸話があり、西洋の習慣に慣れ親しんでいたことを伺わせる。アルバム『ひこうき雲』の中の一曲として発表されたが、後に、荒井由実としてのラストシングル『翳りゆく部屋』(昭和52年)のB面にシングルカットされた。川越美和(平成4年)、本木雅弘(平成5年)、NOKKO( 平成10年)、中森明菜(平成21年)、七尾旅人(平成23年)など多くのアーティストにカバーされ、歌い継がれる名曲である。


『花びらの舞う坂道』
昭和60年発売 歌:麗美 作詞:田口 俊 作曲:松任谷由実 編曲:松任谷正隆
レーベル:日本コロンビア
麗美は、昭和59年デビューのシンガーソングライター。デビュー当時、松任谷正隆・由美夫妻が全面的にバックアップしている。この曲も、松任谷正隆がプロデュースしたスタジオアルバム『PANSY』(昭和60年)の中の一曲として発表された。作詞の田口俊は、昭和47年デビューのシンガーソングライターであり、松任谷正隆の勧めにより昭和57年から作詞家としても活動することとなった。岩崎宏美、南野陽子、中山美穂、など、昭和を彩るアイドルにも多くの作品を提供している。プリンセス・プリンセスのデビューアルバムをきっかけに、音楽プロデューサーとしても活躍。現在は、プログレッシヴ・ロック・バンド『Yuka & Chronoship』のプロデューサー兼ベーシストとして参加し、平成27年にはイギリスデビューを果たすなど、ミュージシャンとしても精力的な活動を続けている。


『港が見える丘』
昭和22年発売 歌:平野愛子 作詞:東辰三 作曲:東辰三
レーベル:ビクター
終戦直後の代表的な流行歌のひとつ。横浜の『港の見える丘公園』にはこの歌の歌碑が設置されている。しかし、この曲の題材となった丘については、東辰三の出身地である神戸と横浜の二つの説がある。東の子息である作詞家の山上路夫によると「神戸と横浜、両方の港をダブらせて作ったのではないか」と述べている。ザ・ピーナッツの『手編みの靴下』(作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰)は、この歌をベースに作られている。また、岩谷時子が詞を改作したのが園まりの『逢いたくて逢いたくて』である。『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』で、旅回りの歌手リリー役の浅丘ルリ子が劇中で歌い、青江三奈、ちあきなおみ、藤圭子、美空ひばりなど、名だたる女性ボーカリストがカバーしている。


『来夢来人』
昭和55年1月25日発売 歌:小柳ルミ子 作詞:岡田冨美子 作曲:筒美京平 編曲: 萩田光雄
レーベル:サウンド・マーケティング・システム
小柳ルミ子は、この曲で第31回NHK紅白歌合戦に出場した。作詞の岡田冨美子は、鈴木聖美 with Rats&Starの『ロンリー・チャップリン』、シブがき隊の『スシ食いねェ!』など、多くのヒット曲を手がけている。作家の都築響一によると「日本にあるスナックの名前で一番多いのが『来夢来人』である」とのこと。この当て字のお手本のようなタイトルは、チャップリンの有名な映画『ライムライト』のオマージュであることは想像に難しくない。そもそも、ライムライトとは、電球が普及する以前に舞台照明に用いられた照明器具のことで、名声を表すスラングとしても使われた。作曲が筒美京平で、編曲が萩田光雄のコンビは、『木綿のハンカチーフ』をはじめ、1970年代の太田裕美の楽曲に多く見られる。


『恋狂い』
昭和45年発売 歌:奥村チヨ 作詞:なかにし礼 作曲:鈴木邦彦 編曲:川口真
レーベル:東芝
和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出された奥村チヨは、黛ジュン、小川知子とともに、東芝3人娘のひとりとして人気を博した。官能的とも言える独特の歌唱スタイルとコケティッシュな容姿で男性ファンを魅了。『恋狂い』は、『恋泥棒』(昭和44年)、『恋の奴隷』(昭和44年)、『恋狂い』(昭和45年)、といった、奥村チヨの「恋3部作」のひとつ。平成27年に作詩家・作家50周年を迎える、なかにし礼の最も脂の乗りきっていた頃の作品である。なかにし礼は、昭和の終わりとともに、作詩家であることを辞めていた。最近、『なかにし礼と12人の女優たち』で歌の世界にカムバックして話題となった。奥村チヨ、なかにし礼、ともにいまだ現役で精力的に活動していることに敬意を表したい。


『東京・大阪しのび愛』
平成25年9月18日発売 歌:秋山涼子&タブレット純 作詞:島田和 作曲:松井義久 編曲:伊戸のりお
レーベル:ポリドール
テイチク移籍第2弾の秋山涼子と、歌謡漫談で人気急上昇中のタブレット純とのデュエット・ソング。秋山涼子は、日本テレビ『紅白歌のベストテン』でチビッ子実力日本一(優勝)、フジテレビ『第一回紅白チビッ子歌合戦』優勝など、子供の頃から天才歌手として将来を嘱望された人物。歌唱力には定評のある秋山涼子と、アイ・ジョージやフランク永井を彷彿させるタブレット純の魅惑のバリトンボイスが融合。昭和歌謡の雰囲気たっぷりの大人のデュエット・ソングに仕上っている。イベントなどにおいて、タブレット純は、秋山涼子と歌うことよりも「昭和歌謡文化継承委員会」理事でもある「懐メロ会」の桑原会長と歌うことの方が多くなっているとか。その相性は、オリジナルに迫る勢いである。


『東京』
昭和49年10月発売 歌:マイ・ペース  作詞:森田貢 作曲:森田貢
レーベル:ビクター エンタテインメント
この曲は、作詞者である森田貢とその恋人との実話にもとづいた歌である。マイ・ペースは、秋田県の中学校の同級生、森田貢、伊藤進、根次男の3人で結成されたフォークグループ。昭和49年に、『東京』でメジャーデビューして、いきなり大ヒット。敏いとうとハッピー&ブルー(昭和58年)、BEGIN(平成18年)、柴田純(平成24年)など、多くのアーティストにカバーされ、いまもなお歌い継がれる名曲である。平成2年に、丸山みゆきが『TOKYO』というタイトルでシングル曲としてカヴァーし、その年に創刊された『東京ウォーカー』のCMソングに起用される。リリー・フランキーのベストセラー小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』がドラマ化された際は、主題歌に使用された。


『東京の夜は更けて』
昭和39年8月発売 歌:いしだあゆみ 作詞:宮川哲夫 作曲:いずみたく 編曲:いずみたく
レーベル:ビクター
このシングル盤のB面は、北村英治とクインテットが演奏する同曲のインストゥルメンタルで、編曲も北村英治が担当するマニアックな一枚となっている。いしだあゆみは、昭和39年4月に『ネェ、聞いてよママ』レコードデビューしたその年、『東京の夜は更けて』も含めて9曲ものシングル曲を発表している。もともとフィギュアスケート選手だったいしだは、スカウトされて芸能界に入り、いずみたくに師事する。ビクター時代(昭和39〜昭和43年)までは、発表曲のほとんどを、いずみたくが作曲している。その後、日本コロンビアに移籍して、『ブルー・ライト・ヨコハマ』(昭和43年)が大ヒット。昭和44年のNHK紅白歌合戦から昭和52年まで、9年連続で出場している。


『ラブユー東京』
昭和41年4月1日発売 歌:黒沢明とロス・プリモス 作詞:上原尚 作曲・編曲:中川博之
レーベル:クラウンレコード
黒沢明とロス・プリモスのデビュー曲『涙とともに』のB面が『ラブユー東京』であったものの、『ラブユー東京』の大ヒットにより、AB面を逆にして再発売。その後、ロングヒットを続け、第1回『オリコン』ランキング(昭和43年1月)1位となり、その後9週連続1位を記録する。プロモーションビデオではボーカルの森聖二がバーテンダーに扮して登場。カラオケの本人映像(DAM)でその姿を見ることができる。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)内のコーナーでは、同曲の替え歌『ラブ・ユー・貧乏』が作られ、ロスプリメンバーが出演していた。平成24年には桑田 佳祐が替え歌『ラブユー褒章』を歌っている。現代でもカラオケで歌われることの多い、ムード歌謡の定番曲の一つである。


『東京ブルース』
昭和39年発売 歌:西田佐知子 作詞:水木かおる 作曲:藤原秀行
レーベル:ポリドール・レコード
昭和35年に大ヒットした『アカシアの雨がやむとき』で退廃的なイメージを強く持たれていたが、ポピュラー調であるこの曲も大ヒットしたことで「美人流行歌シンガー」としての地位を揺るぎないものにした。昭和39年は、東京オリンピックが開催された年でもあったので、タイトルに「東京」のつく楽曲やキャッチコピーが流行した。西田は、同曲で、昭和39年の大晦日に『第15回NHK紅白歌合戦』に出場したが、この紅白には、タイトルに「東京」とつく楽曲が4つも登場している。スタジオジブリのアニメ映画『おもひでぽろぽろ』(平成3年)において『東京ブルース』が使われ、同映画のオリジナル・サウンドトラックCDにも収録されている。平成6年には、香西かおりが同曲をカバー。


『東京午前三時』
昭和32年発売 歌:フランク永井 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正
レーベル:ビクター
日本を代表するバリトン歌手のフランク永井が歌い上げる名曲のひとつ。もともとは、進駐軍のクラブ歌手で、様々な「のど自慢大会」に出場しては、優勝をさらうことで「のど自慢荒らし」の異名をとった。昭和30年の日本テレビ『素人のど自慢』の年間ベストワンに選ばれたのを機にビクターの専属歌手となる。この曲の発売当初は、あまりヒットしなかったが、後発の有楽町そごうのキャンペーンソング『有楽町で逢いましょう』が空前の大ヒットとなり、『東京午前三時』は『夜霧の第二国道』とともに相乗ヒットすることとなった。フランク永井の楽曲の多くは、佐伯孝夫と吉田正の名コンビの作品である。フランク永井のヒットソングを織りこんだ同名の歌謡映画(昭和33年製作/日活)もある。


『東京流れ者』
昭和45年発売 歌:藤圭子 作詞:石坂まさを 作曲:不詳 編曲:原田良一
レーベル:日本ビクター
原曲は、作曲者が不明の伝承歌である。元となる旋律は、戦前から存在したといわれていて、クレージーキャッツの『悲しきわがこころ』(昭和40年)や松方弘樹の『関東流れ者』(昭和40年)も、『東京流れ者』とほぼ同じメロディ。『東京流れ者』には、渡哲也(作詞:川内和子/昭和40年)、竹越ひろ子(作詞:永井ひろし/昭和40年)、大信田礼子(作詞:石坂まさを/昭和45年)など、様々なバージョンがある。昭和41年には、同名の映画(日活)が公開された。主人公である渡哲也が主題歌として『東京流れ者』を歌っている。また、大信田礼子主演の映画『ずべ公番長 東京流れ者』(昭和45年公開)も、この歌をモチーフにした作品で、大信田もまた主題歌としてこの歌を披露している。


『東京砂漠』
昭和51年発売 歌:内山田洋とクール・ファイブ 作詞:吉田旺  作曲:内山田洋 編曲:森岡賢一郎
レーベル:ポニーキャニオン
バブル経済期の昭和50年代に、この『東京砂漠』を起用したイメージCMで『ダイア建設』は、一躍全国区での知名度が高まった。ダイアパレスの屋上を舞台とした、「東京砂漠78・バスケット」篇(昭和53年〜)、「東京砂漠82・なわとび」篇(昭和57年〜)、「東京砂漠88・バスケット」篇(昭和63〜)など、様々なバージョンがあった。内山田洋とクール・ファイブは、内山田洋(ギター)が率いる歌謡グループで、前川清(ボーカル)、宮本悦郎(ピアノ・キーボード)、小林正樹(ベース)、岩城茂美(サックス・フルート)、森本繁(ドラム)の6名で構成されている。テレビで演奏する機会は少なかったが、コンサートでは各自のパートの楽器で独奏するコーナーが必ず存在していた。


『東京ららばい』
昭和53年発売 歌:中原理恵 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:筒美京平
レーベル:CBS・ソニー
中原理恵のデビューシングル曲。作家の泉麻人は著書『僕の昭和歌謡曲史』(講談社文庫)の中で、「“トレンドシティ”としての東京の確率を実感した曲」と評している。作詞者である松本隆の作品集『風街図鑑〜松本隆 作詞活動30周年記念』や作曲者である筒美京平が手がけた楽曲が厳選収録されているCD-BOX『THE HIT MEKER 筒美京平の世界』にも収められている。松本隆、筒美京平の昭和を代表する名コンビのお墨付きの傑作なのだ。歌詞には、東京湾(トウキョウベイ)、山手通り、タワーなど、東京をイメージする言葉が随所に使われていて、“東京のご当地ソング”としての印象が色濃く出ている。ちなみに、中原理恵は、現在、メンテナンス会社を立ち上げ、そこの社長をしているらしい。


『ウナ・セラ・ディ東京』
昭和39年発売 歌:ザ・ピーナッツ 作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰 編曲:宮川泰
レーベル:キングレコード
昭和38年に、ザ・ピーナッツが『東京たそがれ』として歌ったのが『ウナ・セラ・ディ東京』のはじまりとなる。その時は、あまりヒットしなかったが、昭和39年にカンツォーネの女王として有名なイタリアの歌手ミルバが来日し、この曲を歌ったことで一気に注目を集めた。その後、『東京たそがれ』の曲調を一部変更して、タイトルも『ウナ・セラ・ディ東京』として再発売しヒット作となった。ちなみに、「ウナ・セラ・ディ東京(Una Sera di Tokio)」とは、イタリア語で「東京のある一夜」という意味である。ほぼ同時期に、和田弘とマヒナスターズ、坂本スミ子、西田佐知子もこの曲を歌うようになり、4者競作となった。当時、最もヒットしたのは、和田弘とマヒナスターズのバージョンであった。


『東京五輪音頭』
昭和38年発売 歌:三波春夫  作詞:宮田隆 作曲:古賀政男 編曲:中野安博.
レーベル:テイチク  昭和39年10月に開催された、東京オリンピックのテーマソング。東京五輪開催の前年、昭和38年6月23日のオリンピックデーに楽曲が発表された。三波春夫バージョンのレコードが最も売れたことから、三波の持ち歌と思われていることが多いが、楽曲発表の時に歌ったのは三橋美智也であり、古賀政男も三橋が歌うことを想定して作曲したという。作曲者の古賀政男は、コロンビア専属だったが、この曲に限って録音権を開放していた。故に、レコードは、橋幸夫(ビクター)、三橋美智也(キング)、坂本九(東芝)、北島三郎・畠山みどり(コロンビア)、大木伸夫・司藤子(ポリドール)などの競作で続々と発売された。東宝映画『日本一ホラ吹き男』(昭和39年)で、植木等が冒頭の登場シーンで熱唱!


『アイビー東京』
昭和41年発売 歌手:三田明 作詞:白鳥朝詠 作曲:吉田正 編曲:吉田正
レーベル:日本ビクター
ボタンダウンのシャツに、細身のコットンパンツに、コインローファー。米アイビーリーグの学生ファションをアレンジしたアイビールックが人気を呼び、この大流行に伴いリリースされた通算第21弾シングル。このアイビールックは、ファッションブランドVANの創始者石津謙介が仕掛けた。昭和30何代後半、VANの紙袋を小脇にアイビールックで、銀座みゆき通り周辺をたむろした若者達は「みゆき族」と呼ばれていた。歌詞の中にも銀座が出てくることに注目して欲しい。全編にわたる鳴り響くGSやベンチャーズを彷彿させるエレキ・ギターのサウンドが小気味よい。女性コーラスが青春歌謡の名残りを残し、昭和歌謡の時代の橋渡しを象徴する作品である。軽快なサウンドにシビれるエレキ歌謡の傑作といえる。

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