昭和歌謡文化の輝きを後世に繋ぐことが、本会の目的です

第13回研究発表会(2018/2/3)

第十三回 昭和歌謡文化継承委員会 研究発表会

横浜慕情 part2  Port of the latter part of winter part2

◆日時
2018.2.3 SAT  OPEN 17:00/本編START 17:30

◆会場

『BarBarBar』

神奈川県横浜市中区相生町1‐25 若葉運輸ビル2F

045-662-0493

※関内駅南口より徒歩4分

◆出演者

仲村瞳(ボーカル)、タッキー(ボーカル)、サリー久保田(ベース)、国吉静治(フルート)、中森泰弘(ギター)、中山努(キーボード)、笹井享介(ドラムス)、筒井洋一(サックス)、井谷享志(パーカッション)、東陽片岡(総合司会)

◆参加費

お一人様 ¥10,000 飲み放題&軽食(ビュッフェ)付き

■セットリスト&曲解説■

 

 

 

『よこはま・たそがれ』

昭和46年3月発売 歌:五木ひろし

作詞:山口洋子 作曲・編曲:平尾昌晃

レーベル:ミノルフォンレコード

昭和46年の第13回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞、第22回NHK紅白歌合戦初出場を果たした五木ひろし(当時23歳)のデビューシングル 曲である。昭和45年オーディション番組「全日本歌謡選手権」(読売テレビ制作)で10週勝ち 抜き、グランドチャンピオンとなる。その時ゲスト審査員だった作曲家の平尾昌晃から「企画さえ合えば面白いのではないか」と高評価を受け、同じ審査員だった作家で作詞家の山口洋子に見出される。「♪くちづけ  残り香 煙草の煙り」ーー艶のある、意味深な言葉の数々を、つなげるのではなく区切るという斬新な歌詞の構成。この山口洋子の歌詞に平尾昌晃の曲が加わり、言葉一つ一つが心に響く。

 

『伊勢佐木町ブルース』
昭和43年1月発売 歌:青江三奈

作詞:川内康範 作曲:鈴木庸一  編曲:小泉宏青

レーベル:ビクターレコード

イントロ部分の「アァ〜ン、アァ〜ン」という悩ましい吐息が印象的なご当地ソングの名曲。収録の前日までは、この吐息を入れる予定はなく、ギターのボディを叩く音だった。しかし、ディレクターは、納得ができずに試行錯誤していたところ、青江三奈が出した、咳を抑えるような声に魅かれ、採用したという裏話がある。発売直後はあまり売れなかったものの、地元の商店会や、伊勢佐木町のヨコチク(明治45年に設立された、横浜最古のレコード店。平成15年に閉店)が宣伝に尽力。その支えもあり、100万枚を超える大ヒット曲となった。青江美奈の当時の映像を見ると、とても27歳とは思えない妖艶さに驚かされる。伊勢佐木町は、後年、フェークデュオ『ゆず』が路上ライブをはじめた地でもあり、音楽との縁の深さを感じる土地である

 

 

『土曜の夜何かが起きる』

昭和44年12月発売 歌:黛ジュン

作詞:なかにし礼 作曲・編曲:鈴木邦彦

レーベル:東芝音楽工業

ショートでボーイッシュな髪型にミニスカート姿で歌う黛ジュンの9枚目のシングル曲(当時21歳)。本楽曲の作詞:なかにし礼、作曲・編曲:鈴木邦彦のコンビは、黛ジュンの数々の楽曲を作り出す。昭和42年デビューシングル曲『恋のハレルヤ』から始まり、昭和43年4枚目のシングル曲『天使の誘惑』は、第10回日本レコード大賞を受賞。代表作となったこの曲は1995年にアレンジバージョンが発売され、カップリング曲に『土曜の夜何かが起きる’95』(編曲:奥井史生)が収録されている。昭和45年デビューの小川知子、昭和44年『恋の奴隷』・『恋泥棒』、昭和45年『恋狂い』(3作共作詞:なかにし礼  作曲:鈴木邦彦)の“恋3部作”がヒットした奥村チヨと共に、“東芝三人娘”と呼ばれ、人気を博した。

 

『港が見える丘』
昭和22年発売 歌:平野愛子

作詞・作曲:東辰三 編曲:小泉宏

レーベル:ビクター
終戦直後の代表的な流行歌のひとつ。横浜の『港の見える丘公園』にはこの歌の歌碑が設置されている。しかし、この曲の題材となった丘については、東辰三の出身地である神戸と横浜の二つの説がある。東の子息である作詞家の山上路夫は「神戸と横浜、両方の港をダブらせて作ったのではないか」と述べている。ザ・ピーナッツの『手編みの靴下』(作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰)は、この歌をベースに作られている。また、岩谷時子が詞を改作したのが園まりの『逢いたくて逢いたくて』である。『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』で、旅回りの歌手リリー役の浅丘ルリ子が劇中で歌い、青江三奈、ちあきなおみ、藤圭子、美空ひばりなど、名だたる女性ボーカリストがカヴァーしている。

 

『想い出のクリフサイドホテル』

昭和61年5月発売 歌:中村雅俊

作詞:売野雅勇 作曲:鈴木キサブロー 編曲:佐藤準

レーベル:日本コロムビア

中村雅俊が35歳の時に発売された24枚目のシングル曲。中村雅俊・根津甚八主演の刑事ドラマ「誇りの報酬」(日本テレビ系列)の主題歌(エンディング)。このドラマは昭和60年10月から昭和61年9月まで放送され、『想い出のクリフサイド・ホテル』は後半の第30話から最終話まで使われた。1話からの主題歌は中村雅俊23枚目のシングル曲『日付変更線』(昭和60年10月発売/作詞:阿久悠  作曲:タケカワユキヒデ  編曲:田辺信一)。「クリフサイド・ホテル」は架空のホテル。作詞家・売野雅勇が学生の頃憧れていて、横浜元町で昭和21年から続くダンスホール「クリフサイド」を取り入れて作ったという。そのホテルを舞台に、大人の男女が繰り広げる禁断の恋の歌である。

 

『トロイカ』

昭和49年12月発売 歌:倍賞千恵子

作詞:ロシア民謡 訳詞:楽団カチューシャ 作曲:ロシア民謡

編曲:小川寛興

レーベル:キング

原曲はロシア民謡だが、日本では、倍賞千恵子以外にもダークダックス、芹洋子、西六郷少年合唱団、東京少年少女合唱団など、様々なバージョンで歌われている。原題は、『Вот мчится тройка почтовая(ほら、郵便トロイカが走る)』。トロイカとは、3頭立ての馬車のことで、原曲では、ある馭者が恋人を金持ちの男にとられてしまうという哀しい内容である。しかし、『楽団カチューシャ』(ハバロフスク地区の日本人捕虜による楽団)による日本語の訳詞では、力強い陽気なイメージとなっている。ロシア民謡は、昭和30年代に歌声喫茶や歌声酒場とともに大流行したので、ある世代にとっては青春の歌である。それ以降の世代には、ゲーム『テトリス』のBGMとしておなじみ。

 

 

『ルビーの指環』

昭和56年2月発売  歌:寺尾聰

作詞:松本隆    作曲:寺尾聰   編曲:井上鑑

レーベル:東芝EMI

寺尾聰が33歳の時に発表した6枚目のシングル曲。昭和56年にヨコハマタイヤ(横浜ゴム)「ASPEC」、25年後の平成18年にキリン「ラガー」のCMソングに起用されている。「ザ・ベストテン」(TBS)で、昭和56年4月9日から12週連続1位の新記録を樹立。記念として赤いソファー“ルビーシート”が番組セットに設置された。その記録は番組終了まで破られることはなく、シートも最後まで置かれていた。この曲の大ヒットにより、前年の昭和55年発表の『SHADOW CITY』、『出航 SASURAI』もランクイン。同時に3曲ベストテン入りという快挙を達成した。同年の第23回日本レコード大賞では大賞のほか、作詞賞、作曲賞、編曲賞を受賞した空前の大ヒット曲である。

 

 

 

 

『雪』

昭和47年8月発売 歌:猫

作詞・作曲:吉田拓郎 編曲:猫

レーベル:CBSソニー

『猫』は、昭和46年、カレッジフォークグループ『ザ・リガニーズ』のメンバーだった常富喜雄、内山修が中心となって結成されたグループ。この曲は、昭和46~昭和47年にかけて、吉田拓郎のバックバンドを務めていた関係で、吉田拓郎より提供された。オルガンは、松任谷正隆が担当。昭和49年に加入した大久保一久は、解散直前に伊勢正三とともに『風』を結成している。平成16年に再結成した際には、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの新井武士が加入している。錚々たる顔ぶれのミュージシャンが関わってきた伝説的なバンドである。当時、音楽誌がこのバンドを紹介する際に「ニューミュージック」と紹介したことが、ニューミュージックというジャンルが生まれたきっかけになったという説がある。

 

『氷の世界』

昭和48年12月発売 歌:井上陽水

作詞・作曲:井上陽水 編曲:星勝・ニック・ハリソン

レーベル:ポリドール・レコード

この曲は、昭和48年に発表されたアルバム『氷の世界』の表題曲として5曲目に収録されている。このアルバムは、日本初のミリオンセラーを記録。当時のアーティストの作品としては珍しく、ロンドンでレコーディングされ、錚々たる現時ミュージシャンが収録に参加している。編曲に参加しているニック・ハリソンは、ローリング・ストーンズの『悲しみのアンジー』のストリングス・アレンジャーを務めた人物。コンサートでは必ず歌われる曲で、陽水作品のひとつの特性でもあるストーリー性を無視した支離滅裂な歌詞は、この曲でも顕著である。アルバムのジャケット写真の陽水が抱えているギターは、忌野清志郎の私物である。当時、陽水と清志郎は、アパートで共同生活をしていたのだとか。

 

『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』

昭和50年月発売 歌:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

作詞:阿木耀子 作曲:宇崎竜童

編曲: ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

レーベル:東芝EMI

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの4作目のシングル曲なのだが、発売当初は『カッコマン・ブギ』のB面だった。ほとんどの歌詞が語りという斬新な曲で、「アメリカのトーキング・ブルースをヒントに作った」(宇崎竜童談)のだとか。同じジャンルの昭和歌謡に、左とん平の『ヘイユーブルース』(昭和48年)や、かまやつひろしの『ゴロワーズという煙草を吸ったことがあるかい』(昭和50年)などがある。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は、オリコンチャートにおいて5週連続で1位を獲得し、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、第26回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。なお、この曲は、当時リーダーであった宇崎竜童の妻であり作詞家でもある阿木耀子の処女作でもある。

 

 

『港町十三番地』

昭和32年3月発売 歌:美空ひばり

作詞:石本美由起 作曲・編曲:上原げんと

レーベル:日本コロムビア

生死を賭けた厳しい漁に挑む船乗りの世界を題材にしたマドロス曲。『港町十三番地は、美空ひばり(当時19歳)111作目のシングル曲で、 数多く発表しているマドロス曲の一つである。題名の“港町”は、神奈川県川崎市の日本コロムビアの工場があった地名で、最寄駅である京浜急行電鉄大師線の港町駅の旧駅名はコロムビア駅。2013年駅のリニューアルに合わせて、美空ひばりの等身大の姿を描いた同楽曲の歌碑が設置され、川崎市の音楽に取り組む街づくりの象徴となっている。また、1996年の香西かおりをはじめ、椎名林檎やさだまさしが同楽曲をカバーしている。昭和38年にマドロス曲を中心に収録した企画アルバム「ひばりとマドロスさん」を発売。2008年にはCDで復刻盤が発売されている。

 

『ブルー・ライト・ヨコハマ』

昭和43年12月発売 歌:いしだあゆみ

作詞:橋本淳 作曲・編曲:筒美京平

レーベル:コロムビア

昭和39年にレコードデビューした、いしだあゆみの26枚目のシングル。作詞家の橋本淳はこの曲のイメージを、「港の見える丘公園」から見た、横浜と川崎の工業地帯の夜景と、カンヌの夜景の美しさを重ね合わせたもの、と語っている。意外にも発売前はあまり評判が良くなく、歌詞やカタカナのタイトルも不評で、横浜のレコード店でも置くのを断られることがあったと言われている。リリース翌年の昭和44年に大ヒットし、150万枚を超える売り上げを記録。いしだあゆみは同年の紅白歌合戦に初出場を果たす。平成20年に行われた、「横浜開港150周年記念式典市民アンケート 好きな横浜の歌」では3673票を集め、1位を獲得(2位は1570票の『赤い靴』)。時代を超えて愛され続ける、横浜ご当地ソングの代表曲である。

 

『追いかけてヨコハマ』

昭和53年2月発売 歌:桜田淳子

作詞・作曲:中島みゆき

編曲:船山基紀 レーベル:アードバーク

桜田淳子22枚目のシングル。21枚目のシングル『しあわせ芝居』に続き、中島みゆきが作詞、作曲を手掛ける。中島みゆきは、この前年に『わかれうた』が大ヒットしていた。当時は、ニューミュージック系の人気シンガーソングライターがアイドルに楽曲提供をするのが盛んだった時代で、数々の名曲が誕生している。『追いかけてヨコハマ』は息継ぎが難しく、中島みゆきが後にセルフカヴァーをした際に、息継ぎの箇所を作り忘れたことに気付いたとして「桜田さん、ゴメンナサイ。」と語っている。生放送で生演奏の歌番組で、踊りながら歌いこなしていた、桜田淳子の歌唱力の高さが改めて感じられる。昭和54年に研ナオコが『しあわせ芝居』とともにカヴァーした。

 

 

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