昭和歌謡文化の輝きを後世に繋ぐことが、本会の目的です

第4回研究発表会(2015/9/9)

minakami

第四回研究発表会
GUNMA みなかみ町『三国太鼓』×TOKYO 中野ブロードウェイ『昭和歌謡』


◆会場

『でんでこ座三国館』

群馬県水上町


◆日時

2015年9月9日


◆プログラム

第一部『でんでこ座三国太鼓』

第二部『昭和歌謡文化継承委員会』研究発表会


◆出演者

仲村瞳(ボーカル)、サリー久保田(ベース)、国吉静治(フルート)、

中森泰弘(ギター)、中山努(キーボード)、 笹井享介(ドラムス)、

松本健一(サックス)、井谷享志(パーカッション)、東陽片岡(総合司会)


セットリスト&曲解説

『真赤な太陽』

昭和42年5月発売 歌:美空ひばり 作詞:吉岡治 作曲:原信夫 編曲:井上忠夫
レーベル:日本コロムビア
昭和42年3月に発売された『ブルー・シャトウ』で大ヒット中であった、ジャッキー吉川とブルーコメッツと美空ひばりが組んだ曲。グループ・サウンズの演奏で国民的スターが歌い、140万枚の売り上げを記録するという、グループ・サウンズ黄金時代を象徴する1曲でもある。美空ひばりは当時30歳。流行のミニスカートをはき、ゴーゴーダンスを踊って歌うなど、それまでのイメージを一新する演出が大きな話題を呼んだ。もともと、芸能生活20周年記念アルバム『歌は我が命~美空ひばり芸能生活20周年記念』に収録するために製作された曲であったが、スタッフや母の加藤喜美枝の評判が高く、アルバムからシングルカットに変更されたと伝えられている。


『誰もいない海』
昭和45年11月発売  歌:トワ・エ・モア 作詞:山口洋子 作曲:内藤法美 編曲:森岡賢一郎
レーベル:東芝音楽工業
日本初のワイドショー番組「木島則夫モーニングショー」(テレビ朝日)の「今週の歌」というコーナーで、当時出演していた歌手・ジェリー伊藤のために作られた曲。作詞を手掛けた山口洋子は神奈川県出身の詩人で、『よこはま・たそがれ』、『うそ』などで知られる作詞家の山口洋子とは別人である。作曲の内藤法美(ないとうつねみ)は越路吹雪の夫。昭和43年にシャンソン歌手・大木康子の歌で初めてレコード化される。昭和45年11月5日に、トワ・エ・モア版、越路吹雪版が同時に発売される。昭和46年にジェリー伊藤版も発売。多くの歌手がカバーしており、石原裕次郎、石川さゆり、岩崎宏美、菅原洋一、倍賞千恵子、あべ静江、篠ひろこ、渥美マリ、吉幾三などが自身のレコードに収録、またはコンサート、テレビ等で歌っている。舞台になっているのは小田原の海。


『色づく街』
昭和48年8月発売  歌:南沙織 作詞:有馬三恵子 作曲・編曲:筒美京平
レーベル:CBS・ソニー
南沙織の9枚目のシングル曲。当時は雑誌の誌面がモノクロからカラーへ移行する転換期で、南沙織のプロデューサーの酒井政利が、若者が色にこだわっていることを雑誌『セブンティーン』から感じ、新曲に“色”を取り入れようと考えてできた曲。歌詞の「青い枯葉」について、「そんなものはない」と批判があったという。しかし、枯葉には青いものもあり、それを歌詞で表現した有馬三恵子の才能を、酒井政利は絶賛している。酒井政利は山口百恵、キャンディーズ、郷ひろみをはじめ、300人以上のアーティストを育てた伝説の音楽プロデューサー。有馬三恵子は南沙織のデビュー曲『17才』を手掛けて以来多くの作品を共にしている。南沙織の名付け親でもあり、有馬三恵子が提案しなければ、芸名は「南陽子」でほぼ決まっていたと伝えられている。


『ケンとメリー~愛と風のように~』
昭和47年11月発売  歌:BUZZ 作詞:山中弘光 補作詞:高橋信之 作曲・編曲:高橋信之
レーベル: ロンドンレコード
フォークグループ、BUZZのデビュー曲。日産スカイラインのCMソングに使用される。「ケンとメリーのスカイライン」のキャッチコピーで登場した4代目スカイラインは、累計販売台数64万台(スカイラインの販売台数としては歴代最高)を記録し、一世を風靡する。ケンとメリーとは、CMに登場するカップルの役名。4代目スカイラインのCM撮影に使われた北海道美瑛町のポプラの大木は「ケンとメリーの木」と呼ばれ、現在でも観光スポットとして知られている。『出没!アド街ック天国』の北海道美瑛の回(平成26年8月2日放送)では5位で登場。平成13年に公開された映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ大人帝国の逆襲』の挿入歌にも使われた。この曲に影響を受けた福山雅治が、『愛は風のように』という曲を作詞・作曲している。


『東京ラプソディー』
昭和11年6月発売 歌:藤山一郎 作詞:門田ゆたか 作曲:古賀政男 編曲:高橋孝太郎
レーベル:テイチク
作曲家の古賀政男が『東京行進曲』(昭和4年/歌:佐藤千夜子 作詞:西条八十 作曲:中山晋平)にインスパイアされ、モダンな東京の姿をイメージして作られた曲。藤山一郎は、この曲を「銀座、神田、浅草、新宿と、東京の盛り場を楽しく歌いあげた清潔にして軽快なフォックストロット調の歌」と解説している。フォックストロットとは社交ダンスのひとつのスタイルである。メロディーは、古賀政男がフォードのクーペの新車で初夏の明治神宮外苑付近を走っているときに、自然と浮かんできたのだとか。同年12月に同名の映画が公開され、ヒットを記録。主演を藤山一郎、音楽監督を古賀政男が務めた。今でも、戦前の音楽映画の傑作と評されている。


『東京の屋根の下』
昭和23年12月発売 歌:灰田勝彦 作詞:佐伯孝夫 作曲:服部良一 編曲:灰田有紀彦
レーベル:ビクター
戦後まもない年の曲でありながら、「夢のパラダイス」、「映画にレビューにブギウギ」、「世界の憧れ」など、華々しい東京の姿が歌われている。服部良一は、敗戦の悲嘆に沈む日本人の活力につながるようにと、この前年の昭和22年に『東京ブギウギ』を発表。同曲のヒットで、立て続けにブギウギものを作る。服部良一が昭和23年に作曲し、タイトルに「ブギ」が付く曲は、『さくらブギウギ』『ヘイヘイブギ』『博多ブギウギ』『ジャングルブギ』『大阪ブギウギ』『北海ブギウギ』『これがブギウギ』『ブギウギ娘』『ブギウギ時代』(※歌は全て笠置シヅ子)、市丸が歌った『三味線ブギウギ』『ブギウギ音頭』と、11曲にも及ぶ。笠木シヅ子は「ブギの女王」と呼ばれ、服部良一とのコンビでブギの黄金時代を築いた。


『四季の歌』
昭和51年8月発売 歌:芹洋子 作詞・作曲/荒木とよひさ 編曲:青木望
レーベル:キングレコード
テレサテンの『つぐない』、『時の流れに身をまかせ』、森昌子の『悲しみ本線日本海』等のヒットでも知られる、作詞家の荒木とよひさが学生時代に作った曲。当時17歳の荒木とよひさは、スキー中の転倒で脚を複雑骨折し、新潟県妙高市の病院に入院。スキー選手の夢をあきらめざるを得ないという失意の闘病生活の中で誕生したのが、新潟県関温泉の情景をモチーフにした『四季の歌』で、看護婦たちに口伝えで広がっていった。10年以上、作者不詳の曲として親しまれていたが、昭和51年、ラジオ番組の呼びかけにより荒木とよひさが名乗り出ることとなる。石原裕次郎、和田弘とマヒナスターズなど、多くの歌手が歌っているが、一番のヒットはミリオンセラーを記録した、昭和51年発売の芹洋子版。


『いい湯だな』
昭和41年2月発売 歌:デューク・エイセス 作詞:永六輔 作曲・編曲:いずみたく
レーベル:東芝音楽工業
昭和44年にザ・ドリフターズがカバーし、知名度が急上昇した曲だが、オリジナルは、昭和41年にデューク・エイセスが「にほんのうたシリーズ」の一曲として発表。「にほんのうたシリーズ」は、永六輔・いずみたくコンビが作った日本各地のご当地ソングをデューク・エイセスが歌うという企画で、昭和41年から45年の間に、両A面シングルで計52曲、LPレコードが4集発売された。昭和41年のレコード大賞企画賞を受賞。“京都 大原 三千院”でお馴染みの『女ひとり』も同シリーズの一曲。『いい湯だな』は群馬県内の温泉地、草津、伊香保、万座、水上が登場するが、ドリフ版『いい湯だな ビバノン・ロック』では、登別、草津、白浜、別府になっているなど、歌詞の一部が違い、アレンジも異なっている。

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