昭和歌謡文化の輝きを後世に繋ぐことが、本会の目的です

 

showa-1608-0214

128x128-pdf


第七回 昭和歌謡文化継承委員会 研究発表会

おもいでの夏


◆日時
2016.8.21 SUN  OPEN 18:30/本編START 19:30

(※19:00より19:30までサリー久保田のDJタイム)


◆会場
『J-POP CAFE SHIBUYA』

東京都渋谷区宇田川町31-2 渋谷ビーム7階
03-5456-5767
※JR渋谷駅ハチ公口(西口)より徒歩7分


◆出演者
仲村瞳、タッキー(ボーカル)、サリー久保田(ベース)、国吉静治(フルート)、中森泰弘(ギター)、

中山努(キーボード)、 笹井享介(ドラムス)、松本健一(サックス)、井谷享志(パーカッション)、

東陽片岡(総合司会)、ゲスト・平塚新太郎(日本最長老の流し)


◆参加費
お一人様 ¥10,000 飲み放題&軽食(ビュッフェ)付き

※飲み放題とビュッフェは19時からとなります。


■セットリスト&曲解説■

 

『南国の夜』

昭和39月発売 歌:石原裕次郎

作詞:作曲:A・LARA 編曲:バッキー白片

レーベル:テイチク

日本におけるハワイアンの草分け的存在であるバッキー白片とアロハ・ハワイアンズをはじめ、大橋節夫とハニー・アイランダース、和田弘とマヒナスターズなど、昭和を彩るほとんどのハワイアンバンドがカバーしている名曲。しかし、この曲はハワイ生まれではなく、1930年(昭和5年)のメキシコ生まれである。原曲は、『Noche De Veracruz(ベラクルスの夜)』というラテン音楽で、 1938年(昭和13年)にアメリカのパラマウント映画『セニョリータ』の主題歌として、英語の歌詞がついて大ヒットした。この曲は、その映画とともに日本に伝わり、様々な日本語の歌詞がつけられ、当時流行していたハワイアンバンドによって演奏されるようになった。カラオケでは、日野てる子と石原裕次郎のバージョンでも歌うことができる。


『月の夜は』

昭和46年5月発売 歌: 渚ゆう子

作詞・ 作曲:S.K ブライト 日本語詞:門田ゆたか 編曲:川口真、真城マキ

レーベル:東芝音楽工業

原題は“洗練されたフラ”という意味の 『Sophisticated Fura』(ソフィスティケイテッド フラ)で、アメリカ人の S.K ブライトの作詞、作曲による昭和12年の作品。昭和 15 年にカリフォルニア生まれの、 日系二世歌手・ベティ稲田が、 『フラの踊り』という題で発表している。元々、ハワイアン歌手であり、昭和45年の『京都の恋』と『京都慕情』で人気歌手となった渚ゆう子が、昭和46年にハワイアンソングを集めたアルバム『南国の夜』を発売。その中で『月の夜は』という題でカバーしている。演奏は和田弘とマヒナスターズ。日本でもポピュラーなハワイアンソングで、振り付けが覚えやすいことから、フラダンス初心者向けの曲としても知られ、幅広い世代に親しまれている。


『二人の銀座』

昭和41年4月発売 歌:山内賢・和泉雅子

作詞:永六輔 作曲:ザ・ベンチャーズ 編曲:川口真

レーベル:東芝音楽工業

ザ・ベンチャーズが銀座の夜景をイメージして作った曲で、日本人に提供した最初の曲。越路吹雪が当初歌う予定だったのを辞退し、和泉雅子がデュエットで歌うことを提案。山内賢と和泉雅子は当時、数々の日活映画で共演する人気コンビであった。『二人の銀座』のヒットにより、同年、このコンビが主演の同名映画が封切りされる。和泉雅子は銀座4丁目出身。10歳で子役デビューし、吉永小百合、松原智恵子と「日活三人娘」と呼ばれた。レポーターとして南極を訪れたことをきっかけに冒険家の活動に目覚め、平成元年に女性で世界初めて徒歩での北極点到達という偉業を果たす。平成20年には山内・和泉コンビによる『おとなの銀座』を発表。山内賢は平成23年に肺炎のため67歳で死去。


『エスカレーション』

昭和58年6月発売 歌:河合奈保子

作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:大村雅朗

レーベル:日本コロムビア

河合奈保子が13枚目にリリースしたシングル曲で、引退までの間に最もヒットした曲。同曲をテレビで歌う時から、それまで肩まであった髪をショートカットにし、イメージをチェンジした。作詞を手掛けた売野雅勇は、中森明菜の『少女A』や郷ひろみの『2億4千万の瞳』、チェッカーズの『涙のリクエスト』など多くの曲を生み出しているヒットメーカー。河合奈保子は、西城秀樹の妹募集オーディションで優勝し、昭和55年(1980年)に『大きな森の小さなお家』でデビュー。優れたアイドルが多く輩出された80年代の、トップアイドルの1人であった。現在はオーストラリアで専業主婦として過ごしているが、今もなお根強い人気を誇る。本年の8月31日には、デビュー当時からの写真を掲載した 写真集『再会の夏』と、DVD『河合奈保子ライブ・ベスト ~けんかをやめて~』が同時発売される。


『夏模様』

昭和58年6月発売 歌:柏原芳恵

作詞:微美杏里 作曲:松尾和彦 編曲: 萩田光雄

レーベル:フィリップス・レコード

柏原芳恵といえば、皇太子徳仁親王(こうたいしなるひとしんのう)が熱烈なファンだったことでも知られているアイドル。その代表曲といえば、「♪紅茶のおいしい喫茶店〜」で、お馴染の『ハロー・グッバイ』(昭和 56 年/作詞:喜多条忠 作曲 : 小泉まさみ)。柏原芳恵は、当時のアイドルとしてはめずらしく秋や冬がよく似合う、どこか哀愁を感じさせるイメージを持っていた。その中で、16弾目のシングル『夏模様』もやはり、夏の曲といえども、晩夏のもの寂しいムードが伝わってくる。この歌の主人公は、彼と別れたあの夏の日を回想するというせつなさ。その作詞の微美杏里は、女優の藤真利子の作詞家としてのペンネーム。女優らしくビビアン・リーの名をもじっている。


『モンロー・ウォーク 』

昭和54年6月 歌 : 南佳孝

作詞:来生えつこ作曲:南佳孝 編曲:萩田光雄

レーベル:CBS ソニー

昭和54年発売のアルバム『speaklow』の中の1曲。昭和55年に、郷ひろみが『セクシー・ユー』という曲名で、33枚目のシングルとしてカバーしている。「モンロー・ウォーク」というのは、もちろん、マリリン・モンローの特徴的な歩き方のことだが、当時の郷ひろみのファン層には、その意味がわからないということで曲名が変えられたのだとか。そのことを作詞者の来生えつこが大激怒したというエピソードがある。南は、『モンロー・ウォーク』を発表したのち、海外での音楽遊学のため、その間の収入源として、同じレコード会社所属だった郷ひろみに同曲を歌ってもらい大ヒットを得た。この名曲は、「風呂上りに15分ぐらいで出来た」と南は語っている。


『ミスターサマータイム』

昭和53年3月 歌:サーカス

作詞 :Pierre Delanoe 作曲 :Michel Fugain 日本語詞 : 竜真知子 編曲 : 前田憲男

レーベル:アルファレコード

フランスのシンガーソングライター、ミッシェル・フュガンの作曲の「Une Belle Histoire」(美しい話)の日本語カバー曲。 100 万枚を突破するセールスを記録、サーカスの最大のヒット曲となった。オリコンでは1位を獲得し、同曲で、『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場した。「待ちぶせた誘惑」、「ひとときのあやまち」、「誘惑の熱い砂」など、畳み掛けてくる背徳ワードがひと夏の危険な恋を感じさせる。原詞の方も、ある夏の日、ハイウェイですれ違った若い男女のいきずりの情事を描いている。サーカスは、3人姉弟と従姉からなる 4 人組のコーラスグループ。コーラスワークと個々の歌唱力とコーラスワークはハイレベルで、日本におけるアカペラグループやコーラスグループの先駆的存在である。


『バージンブルー』

昭和59年7月発売 歌:SALLY

作詞:さがらよしあき 作曲:鈴木キサブロー 編曲:鈴木キサブロー・大島みちる

レーベル:フィリップス

法政一校の高校生達が結成したロックバンドSALLYのデビュー曲。全国学生対抗ロックコンテストに出場したSALLYを、同番組の司会を務めていた山田パンダがスカウトし、山田パンダカンパニーの所属アーティストとなった。ディレクターは元ガロの大野真澄であった。同曲は「キリンレモン」のコマーシャルソングにも採用され、オリコン最高位 6 位を記録。第26回日本レコード大賞新人賞を受賞(最優秀新人賞は岡田有希子)。リードボーカルの加藤喜一が、スケジュール帳やファンクラブの会報などから、当時を振り返り、軽妙な文章で事細かに綴ったブログ 「A! Blog of Sally」は、 80年代半ばの音楽業界を知る上でも価値のある資料である。現在、加藤喜一はソロで、リーダーの杉山洋介(ギター、ボーカル)はユニット「paris match」で活動中。


『夜空の星』

昭和40年12月発売 歌:加山雄三

作詞:岩谷時子 作曲:弾厚作 編曲:寺内タケシ

レーベル:東芝レコード

300万枚を超える大ヒットとなった、加山雄三の5枚目のシングル『君といつまでも』のB面。若大将シリーズの第6弾、映画『エレキの若大将』の挿入歌として、エレキ合戦のシーンで使われた。同映画には、この曲の編曲を担当した天才ギタリスト、寺内タケシもバンドメンバーとして出演している。昭和40年は、ザ・ベンチャーズの来日の影響もあって、空前のエレキブームに沸いていた。そのブームを牽引した、日本におけるエレキサウンドの名曲のひとつである。サンフランシスコのサーフロックバンドTHE PHANTOM SURFERSや日本のロックバンドTHE ALFEEなど、多くのアーティストがカバーしている。作曲の弾厚作は、加山雄三の作詞家や作曲家としてのペンネームである。


『海その愛』

昭和51年5月発売 歌:加山雄三

作詞:岩谷時子 作曲:弾厚作 編曲:森岡賢一郎

レーベル:東芝EMI

意外なことに、この曲は、シングルとしては発売されていない。同名のアルバムの中の一曲である。NHK紅白歌合戦では3回歌っており、本人にとっても思い入れの深い曲だと察することができる。作詞は、もちろん、『君といつまでも』をはじめ、加山雄三のほとんどの楽曲の作詞を手掛けた、岩谷時子である。加山は、この曲を岩谷に依頼をした時、「スケールの大きな曲にしたい」と話したという。加山は、岩谷時子との出会いについて、「相田みつをさんの言葉に『そのときの出会いが人生を根底から変えることがある』という言葉がありますが、僕にとっては岩谷さんとの『出会い』がまさにその言葉通りでした」と語っている。まさに、その話を感じさせるハートフルな一曲である。


『渋谷・愛の街/渋谷区歌』

昭和53年11月制定 歌:ペギー葉山

作詞:保富康午 作曲:都倉俊一 編曲:田辺信一

あまり知られていないが、東京には、「区歌」というものが存在する。江東区以外の区は全て制定されており、作曲家の顔ぶれが凄い! 千代田区と大田区は山田耕筰、板橋区と中央区は山本直純、杉並区は遠藤実、豊島区はさだまさし、中野区は宇崎竜童、そして、渋谷区歌『渋谷・愛の街』は、都倉俊一の作曲である。都倉俊一といえば、ピンクレディーや山口百恵の作曲で知られるヒットメーカー。同年は『サウスポー』や『モンスター』も発売されており、ピンクレディー旋風の真っ只中であった。歌い手は、昭和34年に『南国土佐を後にして』で大ヒットを飛ばしたペギー葉山と、昭和歌謡を代表するような豪華な顔ぶれ。他の区歌の多くが校歌や合唱曲のような曲調である中、同曲はムード歌謡っぽさもある歌謡曲といった雰囲気で、ひときわ異彩を放っている。詞は区民から募集し、選定委員会の審査で選ばれた。


『アビーロードの街』

昭和48年7月発売 歌:南こうせつとかぐや姫

作詞:伊勢正三 作曲:南こうせつ 編曲:石川鷹彦

レーベル:日本クラウン

昭和48年のシングル『僕の胸でおやすみ』のB面。同年に発売された、第2期かぐや姫の3枚目のアルバム『かぐや姫さあど』にも収録されている。かぐや姫は、第1期と第2期があり、第1期は、昭和45年にデビューした、南高節、森進一郎、大島三平の3人グループの『南高節とかぐや姫』(1年後に解散)。第2期は、昭和46年に、南こうせつ(ギター)、伊勢正三(ギター)、山田パンダ(ベース)で再結成した『南こうせつとかぐや姫』。第2期の『かぐや姫』は、メンバー全員が、作詞作曲とリードボーカルを務める珍しいタイプのフォークグループである。南こうせつと伊勢正三は、平成26年に、『ひめ風』というユニットを結成してアルバム作成やライブ活動も行い、『アビーロードの街』も歌い続けている。


『別れても好きな人』

昭和54年9月発売 歌:ロス・インディオス & シルヴィア

作詞・作曲:佐々木勉 編曲:渋谷毅

レーベル:ポリドール

この曲は、まず、昭和44年に東芝音楽工業から松平ケメ子盤が発売されている。続いて、同年、日本ビクターからパープル・シャドウズ盤が発売。さらに、昭和50年にポリドールから男性ボーカルだけのロス・インディオス盤が発売され、昭和54年にシルヴィアがロス・インディオスに加わり、デュエット曲に生まれ変わりミリオンセラーとなった。当時のカラオケスナックなどでも大ブレイクし、『銀座の恋の物語』に次ぐ、デュエットソングの代表曲として数えられる。平成26年には、剛力彩芽&石井竜也と東京デルアミーゴがカバーしている。時代を超えた名曲中の名曲である。あまり知られていないが、昭和55年に、作詞作曲をした佐々木勉自身も、ベン&あかねというコンビでカバーしている。


『それぞれの原宿』

昭和 55 年 12 月発売 歌:ロス・インディオス & シルヴィア

作詞:中原葉子 作曲:中村泰士 編曲:竜崎孝路

レーベル : ポリドール

ロス・インディオスにシルヴィアが加わり、『別れても好きな人』で大ブレイク。それを機に、ロス・インディオス&シルヴィアは、渋谷区や港区の街を題材とした楽曲を連発することになる。その第2弾となったのが、『それぞれの原宿』。昭和37年に結成されたロス・インディオスは、昭和43年に「コモエスタ赤坂」で大ヒットを飛ばしており、もともと都会派のご当地ソングムード歌謡のイメージが強い。結成から50年以上経った現在でも、テレビやコンサートなどで積極的に活躍していて、シルヴィア亡きいまも、この曲を生で聴くことができる。シルヴィア脱退後のロス・インディオスでは、『私のハートはストップモーション』などでお馴染みの桑江知子バージョンなども存在している。


『恋の青山・原宿・六本木~ゆらり待夢~』

昭和 57 年 9 月発売 歌:ロス・インディオス & シルヴィア

作詞:六ツ見久美子 作曲:六ツ見茂明 編曲:若草恵

レーベル:ポリドール

昭和57年のシングル『おもい手』の B 面。ロス・インディオスにしては、ムード歌謡色の薄い、ポップス調の曲に仕上がっている。歌詞に「路で指輪を売るヒッピー達 シャンゼリゼ通り ガラス張りの窓のコーヒーショップ」、「ディスコティックに行って踊りましょうか」など、時代を感じさせるキーワードがつまっている。「シャンゼリゼ通り」とは、表参道のことで、30年位前までは一般的に使われていた。今は、現地の交番で尋ねても「?」といった反応。同曲は、A面の『おもい手』とともに、ロス・インディオス&シルヴィアとしての最後の1枚となった。シルヴィアは、元実業団バレーボール選手。22歳にして『別れても好きな人』でミリオンセールスの記録と、紅白歌合戦出場も果たしたムード歌謡界のシンデレラガールである。そんな彼女も平成22年に肺癌で他界してしまった。


『原宿キッス』

昭和57年5月発売 歌:田原俊彦

作詞:宮下智 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀

レーベル:キャニオンレコード

この曲が発売された頃の原宿は、『原宿ホコ天』の全盛期で、ローラー族、竹の子族など、若いエネルギーで満ち溢れていた。歌詞の中にも、「ポニーテール」や「ジルバ」など、その当時の原宿カルチャーを象徴するキーワードが散りばめられている。田原俊彦は、言わずと知れた80年代を代表するトップアイドル。その彼が、当時、最も活気のある街のご当地ソングを歌ったのが、『原宿キッス』である。作曲は、筒美京平で、当時流行っていたテクノポップの音調も取り入れた、筒美らしい弾けたサウンドになっている。それもまた、「ディスコ」をイメージして、当時のカルチャーを感じさせる。同曲や『ハッとして! Good』などをプロデュースした、音楽プロデューサー・羽島享は現在ボーカルスクールを経営しており、仲村瞳のボイストレーナーでもある。


『真赤な太陽』

昭和42年5月発売 歌:美空ひばり

作詞:吉岡治 作曲:原信夫 編曲:井上忠夫

レーベル:日本コロムビア

昭和42年3月に発売された『ブルー・シャトウ』で大ヒット中であった、ジャッキー吉川とブルーコメッツと美空ひばりが組んだ曲。グループ・サウンズの演奏で国民的スターが歌い、140万枚の売り上げを記録するという、グループ・サウンズ黄金時代を象徴する1曲でもある。美空ひばりは当時30歳。流行のミニスカートをはき、ゴーゴーダンスを踊って歌うなど、それまでのイメージを一新する演出が大きな話題を呼んだ。もともと、芸能生活20周年記念アルバム『歌は我が命~美空ひばり芸能生活20周年記念』に収録するために製作された曲であったが、スタッフや母の加藤喜美枝の評判が高く、アルバムからシングルカットに変更されたと伝えられている。

  • Facebook
  • Hatena
  • twitter
  • Google+
  • LINE

昭継会サイト内検索

昭継会Twitter

PAGETOP
Copyright © 昭和歌謡文化継承委員会 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.