Winter Daydreams -新宿夜想‐
第六回研究発表会
◆日時
2016年2月7日
◆会場
ケントス新宿店
◆プログラム
・第一部/トーク&ライブ『新宿アンソロジー』
・第二部/昭和歌謡ライブ『Winter Daydreams -新宿夜想‐』
・第三部/あの昭和の女優が歌った『名曲アルバム』
◆出演者
仲村瞳(ボーカル)、タッキー(ボーカル)、サリー久保田(ベース)、国吉静治(フルート)、
中森泰弘(ギター)、中山努(キーボード)、 笹井享介(ドラムス)、
松本健一(サックス)、井谷享志(パーカッション)、
東陽片岡(総合司会)、
ゲスト・平塚新太郎(日本最長老の流し)
■セットリスト&曲解説■
『なみだ恋』
昭和48年2月発売 歌:八代亜紀 作詞:悠木圭子 作曲:鈴木淳 編曲:小谷充 レーベル:テイチク
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「♪夜の新宿裏通り〜」という歌い出しが印象的な、新宿を舞台に忍び逢う恋を描いた、ご当地ソングの最高傑作! “盛り場ソング”としても趣深い。昭和48年の第15回日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、120万枚超えの大ヒットとなる。八代亜紀は、この曲で第24回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。もともとは、赤坂のご当地ソング『雨のカフェテラス』(作詞: 二条冬誌夫、作曲: 鈴木淳)のB面曲として収録された“A面覆り曲”。ヒット曲にこの例は多い。八代亜紀は、昭和46年にオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場し、グランドチャンピオン(10週勝ち抜き)になった。それがきっかけでこの曲と出会い、トラック野郎たちから絶大な支持を受け「八代観音」と呼ばれるほどの大スターとなった。
『新宿の女』
昭和44年9月発売 歌:藤圭子 作詞:石坂まさを・みずの稔 作曲:石坂まさを 編曲:小谷充 レーベル:RCA/日本ビクター
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藤圭子のデビュー曲。レコード売上は累計88万枚超。当時のキャッチフレーズは「演歌の星を背負った宿命の少女!!」で、まさに彗星のように現れた天才ボーカリストだった。藤圭子は、浪曲師の父親と瞽女である母親のもとに生まれ、極貧のなかで育った。まだ幼い頃、寒風吹きすさぶなか瞽女の母親に手を引かれ門付巡業をしてまわったという。そんな生い立ちも、その存在感に負のロマンを醸し出す要素になっている。デビューアルバム『新宿の女』を聴いた作家の五木寛之は、藤圭子の歌を「怨歌」と称した。後年、「当時の人びとの心に宿ったルサンチマン(負の心情)から発した歌だ」とも語っている。この曲の発売キャンペーンの出陣式を行った西向天神社には、『新宿の女』の歌碑が存在する。
『新宿ブルース』
昭和42年3月発売 歌:扇ひろ子 作詞:滝口 暉子 作曲・編曲:和田 香苗 レーベル:日本コロムビア
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昭和40年代は、“和製ブルース”の全盛期であり、その代表曲ともいえる昭和41年には美川憲一の『柳ケ瀬ブルース』(作詞・作曲:宇佐 英雄)が大ヒットしている。とはいえ、『新宿ブルース』は、「暗いし、新宿以外の地方の人は買わないだろう」と発売を反対する声も多かったという。しかし、そんな意見を覆し大ヒットとなり、扇ひろ子の出世作となった。大木英夫&津山洋子 の『新宿そだち』(昭和43年/作詞:別所透 作曲:遠藤実)や森進一の『新宿・みなと町』(昭和54年/作詞:麻生香太郎 作曲:西谷翔)などに続く、新宿ご当地ソングの先駆けとなった曲でもある。昭和44年からは女優としても活躍し、「東映の藤純子、大映の江波杏子、日活の扇ひろ子」と称されるほど人気を博した。
『新宿ディスコナイト』
昭和53年12月発売 歌:やまと 作詞:大和由郎 作曲:まさむね 編曲:小田健二郎 レーベル:日本フォノグラム
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「カンタベリーハウス」(東亜会館3、4階)、「トゥモローUSA」(東宝会館7階)などの、新宿ディスコを根城とするDJ達が中心となって作られた曲。昭和50年代から昭和60年台のはじめにかけては、新宿ディスコの黄金時代であった。この曲が誕生するまでと、その後の顛末は、当時、やまとのメンバーであったDJ・ロニーのブログ「非生産活動推進委員会」に事細かに書かれている。はじめは自主製作版であったが、次第にディスコシーンで話題を集め、日本フォノグラムからの発売が決定した。女性の声にも聞こえるボーカルは、新聞配達の青年・あっちゃん。やまとはこのレコードが最初で最後の作品となる。松田優作主演、『探偵物語』のディスコのシーンではBGMで同曲が使われている。
『新宿マドモワゼル』
昭和44年9月発売 歌:チコとビーグルス 作詞:橋本淳 作曲・編曲:筒美京平
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チコとビーグルスは、昭和43年に大阪のクラブで橋幸夫にスカウトされ、同年にデビューしたバンドである。デビュー曲『帰り道は遠かった』に続いて発売されたセカンドシングルが『新宿マドモワゼル』。ボーカル・チコ(硲千鶴子)のハスキーボイスが特徴的で、ファズギターの効いたサウンドにはまっている。この曲の作詞作曲は、『ブルーライトヨコハマ』、『スワンの涙』など、数々の名曲を生み出してきた、筒美京平、橋本淳のゴールデンコンビ。二人は青山学園高等部からの先輩後輩で、シングル曲以外の楽曲も含めると550曲以上を発表している。『新宿マドモワゼル』は、当時、ヒットさえしなかったが、チコとビーグルスの最高傑作と評価されることもあり、売れなかった名曲の筆頭ともいえる。
『ワシントン広場の夜は更けて』
昭和39年7月発売 歌:ダニー飯田とパラダイスキング 作詞:David Shire,B.Goldstein 訳詞:漣健児 作曲:David Shire,B.Goldstein 編曲:ダニー飯田 レーベル:東芝レコード
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アメリカのデキシーランドジャズバンドであるヴィレッジ・ストンパーズの昭和38年のヒット曲をカヴァー。昭和30年に結成したダニー飯田とパラダイスキングは、ハワイアンバンドにはじまり、昭和33年からロックに傾倒し洋楽を訳詞する“訳詞ポップス”を確立した。昭和32年から水原弘と石川進がボーカルとして参加し、水原が脱退した昭和33年からは坂本九が加わった。他に、九重佑三子や赤木良輔など、多くの名ボーカリストを輩出している。当初、米軍キャンプが活躍の場だったが、日劇ウェスタンカーニバルに参加で一躍スターダムにのし上がった。サントリーオールドのCMソング『夜がくる』(昭和49年/作詞・作曲:小林亜星)と同曲と勘違いしている人も多いが、まったく別の曲である。
『氷の世界』
昭和48年12月発売 歌:井上陽水 作詞・作曲:井上陽水 編曲:星勝・ニック・ハリソン レーベル:ポリドール・レコード
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この曲は、昭和48年に発表されたアルバム『氷の世界』の表題曲として5曲目に収録されている。このアルバムは、日本初のミリオンセラーを記録。当時のアーティストの作品としては珍しく、ロンドンでレコーディングされ、錚々たる現時ミュージシャンが収録に参加している。編曲に参加しているニック・ハリソンは、ローリング・ストーンズの『悲しみのアンジー』のストリングス・アレンジャーを務めた人物。コンサートでは必ず歌われる曲で、陽水作品のひとつの特性でもあるストーリー性を無視した支離滅裂な歌詞は、この曲でも顕著である。アルバムのジャケット写真の陽水が抱えているギターは、忌野清志郎の私物である。当時、陽水と清志郎は、アパートで共同生活をしていたのだとか。
『雪』
昭和47年8月発売 歌:猫 作詞・作曲:吉田拓郎 編曲:猫 レーベル:CBSソニー
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『猫』は、昭和46年、カレッジフォークグループ『ザ・リガニーズ』のメンバーだった常富喜雄、内山修が中心となって結成されたグループ。この曲は、昭和46〜昭和47年にかけて、吉田拓郎のバックバンドを務めていた関係で、吉田拓郎より提供された。オルガンは、松任谷正隆が担当。昭和49年に加入した大久保一久は、解散直前に伊勢正三とともに『風』を結成している。平成16年に再結成した際には、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの新井武士が加入している。錚々たる顔ぶれのミュージシャンが関わってきた伝説的なバンドである。当時、音楽誌がこのバンドを紹介する際に「ニューミュージック」と紹介したことが、ニューミュージックというジャンルが生まれたきっかけになったという説がある。
『虹と雪のバラード』
昭和46年8月発売 歌:トワ・エ・モア 作詞:河邨文一郎 作曲:村井邦彦 編曲:小谷充 レーベル:東芝音楽工業
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昭和46年の2月〜3月まで、NHK『みんなの歌』において『札幌五輪のうた』コーナーで放送された。札幌五輪開幕(昭和47年)の2年前、NHKは、河邨文一郎に作詞を依頼する際に、「オリンピックが終わっても長く歌い継がれるもの」と注文したという。その通り、多くの学校で合唱曲として採用され、広い世代に愛され、親しまれている。この曲は複数の歌手による競作で、黛ジュン、佐良直美、菅原洋一、ピンキーとキラーズ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツなども歌っている。昭和46年の『第22回NHK紅白歌合戦』では、トワ・エ・モアがステージに立って歌った。札幌オリンピックノルディックスキージャンプ競技の舞台となった、大倉山ジャンプ競技場に歌碑が設置されている。
『雪が降る』
昭和44年6月発売 歌:アダモ 作詞:アダモ 訳詞:安井かずみ 作曲:アダモ 編曲:Jtom レーベル:東芝音楽工業
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『Tombe la neige(雪が降る)』は、1963年(昭和38年)、ベルギーでリリースされ世界的な大ヒットとなった楽曲。アダモは、イタリア生れのベルギー人で、詩人で作曲家で歌手である。オリジナルのフランス語以外に、日本語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、トルコ語、アゼルバイジャン語、ペルシア語などでもリリースし、多くの国で愛される曲になった。各国の言語、もしくはオリジナルのフランス語で、世界中のミュージシャンによる多くのカヴァーも存在している。ポール・モーリアによるインストゥルメンタルのカヴァーなどもある。日本語版でアダモは、安井かずみの訳詞で歌っているが、尾崎紀世彦のカヴァーでは、歌詞が一部改変されている。また、越路吹雪は、岩谷時子の訳詞で歌っている。
『氷雨』
昭和52年12月発売 歌:佳山明生 作詞・作曲:とまりれん 編曲:竜崎孝路 レーベル:日本コロムビア
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佳山明生のデビュー曲(昭和52年)で、昭和57年12月に再発売され、昭和58年には、日野美歌や箱崎晋一郎らとの競作で再々発売され、昭和59年には累計150万枚超の大ヒットとなった。『第25回日本レコード大賞』(昭和58年)ロングセラー賞を受賞した。昭和51年頃、この曲を作った「とまりれん」は、歌謡漫談グループ 『サンサンズ』のメンバーとして活躍しつつ、西麻布に小さなスナックを経営していた。 ある日、 わけありな女性客が泣きながら、やけ酒を飲んでいたという。「そんなに飲んじゃ身体に悪いですよ」と声をかけると、「酔ってなんていないわ。煙草の煙が目にしみただけ。泣いてなんかない」と女性客は強がってみせる。この言葉で閃いて、とっさに15分ぐらいで作詞作曲したのだとか。
『トロイカ』
昭和49年12月発売 歌:倍賞千恵子 作詞:ロシア民謡 訳詞:楽団カチューシャ 作曲:ロシア民謡 編曲:小川寛興 レーベル:キング
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原曲はロシア民謡だが、日本では、倍賞千恵子以外にもダークダックス、芹洋子、西六郷少年合唱団、東京少年少女合唱団など、様々なバージョンで歌われている。原題は、『Вот мчится тройка почтовая(ほら、郵便トロイカが走る)』。トロイカとは、3頭立ての馬車のことで、原曲では、ある馭者が恋人を金持ちの男にとられてしまうという哀しい内容である。しかし、『楽団カチューシャ』(ハバロフスク地区の日本人捕虜による楽団)による日本語の訳詞では、力強い陽気なイメージとなっている。ロシア民謡は、昭和30年代に歌声喫茶や歌声酒場とともに大流行したので、ある世代にとっては青春の歌である。それ以降の世代には、ゲーム『テトリス』のBGMとしておなじみ。
『非情のライセンス』
昭和43年4月発売 歌:野際陽子 作詞:佐藤純彌 作曲・編曲:菊池俊輔 レーベル:テイチク
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昭和43年4月6日から昭和48年4月7日まで放映されたテレビドラマ『キーハンター』の主題歌。そのドラマの中で、元フランス情報局諜報部員津川啓子役を演じる野際陽子が歌っている。この野際バージョンの他に、昭和46年に千葉真一も同曲を歌っている(『アクション・スターNo.1千葉真一の魅力』キングレコード)。もともと、この曲は、丹波哲郎と野際陽子のデュエットの予定だったが、キーが合わずソロになったのだとか。『キーハンター』は、最盛期に視聴率30%を超える国民的な人気番組だったので、50代以上の人には懐かしいメロディと感じるに違いない。千葉真一と野際陽子はこの番組での共演がきっかけで結婚(平成6年離婚)することとなり、当時、大きな話題となった。
『愛の水中花』
昭和54年7月発売 歌:松坂慶子 作詞:五木寛之 作曲:小松原まさし 編曲:小松原まさし レーベル:日本コロンビア
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昭和54年、テレビドラマ『水中花』(TBS)の主題歌として歌われた曲。五木寛之の小説が原作で、この曲の作詞も五木寛之が手がけている。高級クラブのコーラスガールを演じる松坂慶子は、劇中でも同曲歌っている。妖艶なレオタードと網タイツ姿が話題となった。松坂慶子は、昭和52年に『青春の門 自立編』(東映)でも五木寛之原作の映画に伊吹タエ役で出演している。この映画化が発表されるとき、タエ役や織江役を「やらせて欲しい」と多くの女優から売り込みが殺到したという。しかし、五木寛之自らがタエ役に松坂慶子を抜擢したのだとか。その流れを受けて再び、五木寛之原作の『水中花』に出演することになり、女優として新境地を開いただけでなく、歌手としても才能も開花させた。
『ピーコック・ベイビー』
昭和43年3月発売 歌:大原麗子withザ・ルビーズ 作詞:東大路千弘 作曲:小林亜星 編曲:小林亜星 レーベル:ビクター
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平成21年の8月3日、惜しくもこの世を去った大原麗子(享年62歳)。昭和を代表する女優のひとりであるが、歌手としても活動していたことを知る人は少ない。『ピーコック・ベイビー』は、歌手としての大原麗子のデビュー曲。女優として脂の乗りきっていた昭和53年には、オリジナルアルバム『愛のつづれ織り』(ワーナーミュージック・ジャパン)をリリースしている。『ピーコック・ベイビー』の演奏とコーラスを担当した、ザ・ルビーズは当時、ザ・タイガーズの武道館コンサートの前座を務めたこともあるグループ。ヒット曲には恵まれず、昭和45年に解散。その後、リードギターでボーカルの菊谷英二は、平田隆夫とセルスターズに参加。『ハチのムサシは死んだのさ』は昭和47年に発売されてヒットする。
『さすらいのギター』
昭和46年6月発売 歌:小山ルミ 作詞:千家和也 作曲:J・リープ・カインド 編曲:川口真 レーベル:ユニオンレコード
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曲名が『さすらいのギター』なのに、歌詞には「さすらい」という言葉も「ギター」という言葉も一切出てこない。原曲が、60年代初頭にフィンランドで結成されたエレキギター・インストグループ『ザ・サウンズ』のヒット曲『さすらいのギター』に日本語の歌詞をつけたのがこの曲。その曲名をそのまま残したので、歌詞とはちぐはぐになっている。小山ルミは、日本人の母とアイルランド人の父を持つハーフで、中学生の頃からモデルの仕事をはじめ、昭和43年に大ヒットしたザ・ダーツの『ケメ子の歌』(作詞・作曲:馬場祥弘)を映画化した同名の作品にヒロインとして大抜擢される。コケティッシュな魅力で人気を博し、同年、『はじめのデート』(作詞:水島哲 作曲:曽根幸明)で歌手デビューを果たす。
『銀色の道』
昭和41年10月発売 歌:ザ・ピーナッツ 作詞:塚田茂 作曲:宮川泰 編曲: 宮川泰 レーベル:キングレコード
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ここで紹介するのは、ザ・ピーナッツによる楽曲だが、競作としてダークダックスバージョンが存在する。音楽の教科書にも載っていた時期があるので、幅広い世代に親しまれている。作詞は、ザ・ピーナッツの公演の演出や「シャボン玉ホリデー」、「夜のヒットスタジオ」、「8時だョ! 全員集合」などの放送作家もしていた塚田茂。全盛期のザ・ピーナッツを支えた名スタッフの一人である。銀色の道とは、広野を走る鉄道のこと。宮川泰が幼少時代を過ごした北海道紋別市旧JR紋別駅跡地『氷紋の駅』に、銀色の道の記念碑が建立されている。ダークダックスバージョンはフォーク調で、しんみりと味わうようなアレンジだが、ザ・ピーナッツバージョンはダイナミックなアレンジとなっている。