昭和歌謡文化の輝きを後世に繋ぐことが、本会の目的です

第8回研究発表会(2016/8/28)

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第八回研究発表会(2016/8/28)


◆会場

『でんでこ座三国館』

群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉1150-1


◆日時

2016年8月28日15時開演


◆プログラム

第1部 『昭和歌謡文化継承委員会』第8回研究発表会

スペシャルゲスト『北夕子』ミニライブ

第2部 『テリー齋藤withフレンズ』~みなかみソウルトレイン~

第3部 『でんでこ座三国太鼓』ライブ


◆『昭和歌謡文化継承委員会』出演者

仲村瞳、タッキー(ボーカル)、サリー久保田(ベース)、中森泰弘(ギター)、

中山努(キーボード)、井谷享志(ドラムス)、松本健一(サックス)、東陽片岡(総合司会)


セットリスト&曲解説

 

『真赤な太陽』

昭和42年5月発売 歌:美空ひばり

作詞:吉岡治 作曲:原信夫 編曲:井上忠夫

レーベル:日本コロムビア

昭和42年3月に発売された『ブルー・シャトウ』で大ヒット中であった、ジャッキー吉川とブルーコメッツと美空ひばりが組んだ曲。グループ・サウンズの演奏で国民的スターが歌い、140万枚の売り上げを記録するという、グループ・サウンズ黄金時代を象徴する1曲でもある。美空ひばりは当時30歳。流行のミニスカートをはき、ゴーゴーダンスを踊って歌うなど、それまでのイメージを一新する演出が大きな話題を呼んだ。もともと、芸能生活20周年記念アルバム『歌は我が命~美空ひばり芸能生活20周年記念』に収録するために製作された曲であったが、スタッフや母の加藤喜美枝の評判が高く、アルバムからシングルカットに変更されたと伝えられている。


『月の夜は』

昭和46年5月発売 歌: 渚ゆう子

作詞・ 作曲:S.K ブライト 日本語詞:門田ゆたか 編曲:川口真、真城マキ

レーベル:東芝音楽工業

原題は“洗練されたフラ”という意味の 『Sophisticated Fura』(ソフィスティケイテッド フラ)で、アメリカ人の S.K ブライトの作詞、作曲による昭和12年の作品。昭和 15 年にカリフォルニア生まれの、 日系二世歌手・ベティ稲田が、 『フラの踊り』という題で発表している。元々、ハワイアン歌手であり、昭和45年の『京都の恋』と『京都慕情』で人気歌手となった渚ゆう子が、昭和46年にハワイアンソングを集めたアルバム『南国の夜』を発売。その中で『月の夜は』という題でカバーしている。演奏は和田弘とマヒナスターズ。日本でもポピュラーなハワイアンソングで、振り付けが覚えやすいことから、フ ラダンス初心者向けの曲としても知られ、幅広い世代に親しまれている。


『二人の銀座』

昭和41年4月発売 歌:山内賢・和泉雅子

作詞:永六輔 作曲:ザ・ベンチャーズ 編曲:川口真

レーベル:東芝音楽工業

ザ・ベンチャーズが銀座の夜景をイメージして作った曲で、日本人に提供した最初の曲。越路吹雪が当初歌う予定だったのを辞退し、和泉雅子がデュエットで歌うことを提案。山内賢と和泉雅子は当時、数々の日活映画で共演する人気コンビであった。『二人の銀座』のヒットにより、同年、このコンビが主演の同名映画が封切りされる。和泉雅子は銀座4丁目出身。10歳で子役デビューし、吉永小百合、松原智恵子と「日活三人娘」と呼ばれた。レポーターとして南極を訪れたことをきっかけに冒険家の活動に目覚め、平成元年に女性で世界初めて徒歩での北極点到達という偉業を果たす。平成20年には山内・和泉コンビによる『おとなの銀座』を発表。山内賢は平成23年に肺炎のため67歳で死去。


『アイビー東京』

昭和41年発売 歌:三田明

作詞:白鳥朝詠 作曲:吉田正 編曲:吉田正

レーベル:日本ビクター

ボタンダウンのシャツに、細身のコットンパンツに、コインローファー。米アイビーリーグの学生ファションをアレンジしたアイビールックが人気を呼び、この大流行に伴いリリースされた、三田明の通算第21弾シングル。このアイビールックは、ファッションブランドVANの創始者石津謙介が仕掛けた。昭和30何代後半、VANの紙袋を小脇にアイビールックで、銀座みゆき通り周辺をたむろした若者達は「みゆき族」と呼ばれていた。歌詞の中にも銀座が出てくることに注目して欲しい。全編にわたる鳴り響くGSやベンチャーズを彷彿させるエレキ・ギターのサウンドが小気味よい。女性コーラスが青春歌謡の名残りを残し、昭和歌謡の時代の橋渡しを象徴する作品である。軽快なサウンドにシビれるエレキ歌謡の傑作といえる。


『銀色の道』

昭和41年10月発売 歌:ザ・ピーナッツ

作詞:塚田茂 作曲:宮川泰 編曲: 宮川泰

レーベル:キングレコード

ここで紹介するのは、ザ・ピーナッツによる楽曲だが、競作としてダークダックスバージョンが存在する。音楽の教科書にも載っていた時期があるので、幅広い世代に親しまれている。作詞は、ザ・ピーナッツの公演の演出や「シャボン玉ホリデー」、「夜のヒットスタジオ」、「8時だョ! 全員集合」などの放送作家もしていた塚田茂。全盛期のザ・ピーナッツを支えた名スタッフの一人である。銀色の道とは、広野を走る鉄道のこと。宮川泰が幼少時代を過ごした北海道紋別市旧JR紋別駅跡地『氷紋の駅』に、銀色の道の記念碑が建立されている。ダークダックスバージョンはフォーク調で、しんみりと味わうようなアレンジだが、ザ・ピーナッツバージョンはダイナミックなアレンジとなっている。


『いい湯だな』

昭和41年2月発売 歌:デューク・エイセス

作詞:永六輔 作曲・編曲:いずみたく

レーベル:東芝音楽工業

昭和44年にザ・ドリフターズがカバーし、知名度が急上昇した曲だが、オリジナルは、昭和41年にデューク・エイセスが「にほんのうたシリーズ」の一曲として発表。「にほんのうたシリーズ」は、永六輔・いずみたくコンビが作った日本各地のご当地ソングをデューク・エイセスが歌うという企画で、昭和41年から45年の間に、両A面シングルで計52曲、LPレコードが4集発売された。昭和41年のレコード大賞企画賞を受賞。“京都 大原 三千院”でお馴染みの『女ひとり』も同シリーズの一曲。『いい湯だな』は群馬県内の温泉地、草津、伊香保、万座、水上が登場するが、ドリフ版『いい湯だな ビバノン・ロック』では、登別、草津、白浜、別府になっているなど、歌詞の一部が違い、アレンジも異なっている。

ご連絡をお待ち申し上げております!!! TEL 03-5942-5370 午後16時-24時

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