第五回研究発表会
敬老会ライブ
◆日時
2015年9月18日
◆会場
特別養護老人ホーム そら
埼玉県春日部市
◆出演者
仲村瞳、園部武(ボーカル)
セットリスト&曲解説
『村祭』
明治45年発表 尋常小学唱歌 作詞・作曲:不詳
明治45年(1912年)刊行の小学校向け音楽教科書『尋常小学唱歌』に掲載された日本の文部省唱歌。作詞者と作曲者は、不明とされているが、作詞者については、近年の研究により『夕日(ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む)』を作詞した葛原しげるが作詞者として有力視されている。作曲者について諸説あるが、音楽教育家の南能衛助である可能性が高い。子息の証言によると、「課題を与えられた後の明治42年(1909年)の19月に小学校唱歌編纂委員として群馬県に出張した際、そこの祭りを観た体験をもとに作曲した」という。この歌には、日本の祭りのルーツが描かれている。米を作るまでの農民の苦労やその苦しみから解放されたときの喜びが伝わってくる。昭和30年代には、キングレコードをはじめ、多くの童謡歌手によってリリースされた。
『旅愁』
明治40年発表 中等教育唱歌 作詞・作曲:ジュン・P・オードウェイ 訳詞:犬童球渓
意外にもこの曲は、1868年にジュン・P・オードウェイが発表した。『Dreaming of home and mother(故郷と母を夢見て)』という楽曲で、アメリカ民謡である。『旅愁』は日本の詩人である犬童球渓が、明治40年(1907年)に翻訳唱歌として発表した。当時、球渓は、新潟の女学校で音楽教師をしていた。新潟へ行く前、球渓は兵庫県の中学の教師をしていた頃、彼は熱心に西洋音楽を教えようとしていたのだが、「軟弱」という理由で欧米の音楽を拒否され、球渓排斥の運動まで起こったという。「窓うつ嵐に 夢もやぶれ」など、歌詞には、彼の心境がところどころ反映されている。そんな実体験に基づいた歌詞が、聴く人の胸を打つのであろう。倍賞千恵子、ダ・カーポ、ダークダックスなど、多くの昭和のアーティストがカバーしている。
『木綿のハンカチーフ』
昭和50年12月発売 歌:太田裕美 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄・筒美京平 レーベル:CBS・ソニー
昭和51年の『第27回NHK紅白歌合戦』に、太田裕美が初出場した際の披露曲である。この曲は3分47秒という当時にしては長い楽曲だったため、紅白のステージでは、原曲よりも速いテンポ(当時は放送時間の制約で1曲3分以内)で歌われた。元々は、太田裕美の3枚目のアルバム『心が風邪をひいた日』(昭和50年)に収録されていた曲を、詞を少し変え、編曲を筒美京平がアレンジしてシングルカットすることにより大ヒットした。この曲の歌詞は、遠距離恋愛となる男女の想いが交互に描かれている。このように男性の言葉と女性の言葉が交互に切り替わるという歌詞は、デュエット曲ではない単独の曲においては、それまでの歌謡曲では前例がなかった。その当時「新しい日本語ポップスを創造しよう」としていた松本の強い意気込みが伝わってくる。
『港の見える丘』
昭和22年4月発売 歌:平野愛子 作詞:東辰三 作曲:東辰三 編曲:小沢直与志 レーベル:ビクター
終戦直後の代表的な流行歌のひとつ。横浜の『港の見える丘公園』にはこの歌の歌碑が設置されている。しかし、この曲の題材となった丘については、東辰三の出身地である神戸と横浜の二つの説がある。東の子息である作詞家の山上路夫によると「神戸と横浜、両方の港をダブらせて作ったのではないか」と述べている。ザ・ピーナッツの『手編みの靴下』(作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰)は、この歌をベースに作られている。また、岩谷時子が詞を改作したのが園まりの『逢いたくて逢いたくて』である。『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』で、旅回りの歌手リリー役の浅丘ルリ子が劇中で歌い、青江三奈、ちあきなおみ、藤圭子、美空ひばりなど、名だたる女性ボーカリストがカバーしている。
『ゲイシャ・ワルツ』
昭和27年9月発売 歌:神楽坂はん子 作詞:西條八十 作曲: 古賀正男 レーベル:日本コロンビア
当時、大ヒットした江利チエミの『テネシーワルツ』(昭和27年)に対抗して作られた曲である。昭和25年(1950)6月25日に朝鮮戦争が勃発し、当時、不景気で行き詰まっていた日本に特需景気をもたらした。その結果、花柳界も賑わいをみせるかたちとなり、『トンコ節』(昭和26年)をはじめ、『ヤットン節』(昭和26年)、『こんな私じゃなかったに』(昭和27年)などの、お座敷ソングが大流行した。その流れもあって、当時、本物の神楽坂の芸者だった神楽坂はん子の『ゲイシャ・ワルツ』は大ヒットした。神楽坂はん子は、作曲家の古賀正男がお座敷で見染めて歌手デビューすることとなった。当時、「神楽坂」という地名が全国的に有名になったのは、神楽坂はん子の功績によるところが大きい。
『ああ人生に涙あり』
昭和44年8月発表 歌:『水戸黄門』歴代助さん・格さん 作詞:山上路夫 作曲:木下忠司 編曲:田嶋勉
昭和44年から18年間続いた超人気テレビ時代劇『水戸黄門』(TBS)の主題歌でもあった『ああ人生に涙あり』。杉良太郎・横内正、里見浩太朗・大和田伸也、あおい輝彦・伊吹五郎など、歴代の助さん・格さんが歌っていた楽曲である。ただし、岸本祐二・山田純大の助さん・格さんは、歌っていなかったり、橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦は、週替わりで単独で歌っていたり、例外も存在する。主題歌としては、3番までが歌われているが、「幻の4番」といわれる歌詞も存在している。「幻の4番」を含む『ああ人生に涙あり』は、平成17年1月に発売された『水戸黄門』のサウンドトラックで発表された。ただし、この「幻の4番」はもともと3番の歌詞として作詞されたもので、主題歌として馴染みのある3番は、本来、4番歌詞であった。
『また逢う日まで』
昭和46年3月発売 歌:尾崎紀世彦 作詞:阿久悠 作曲:筒美京平 編曲:筒美京平 レーベル:日本フォノグラム
『第13回日本レコード大賞』と『第2回日本歌謡大賞』を大賞ダブル受賞した昭和の伝説的な大ヒット曲。当初は、エアコンのコマーシャルソングの候補曲として作られた曲だったが、スポンサーに採用されなかった。当時、筒美京平の作品を管理していた株式会社日音の村上司(元代表取締役)が、この曲を埋もれさせてしまうには惜しい楽曲だと考えて、当時、『白いサンゴ礁』(昭和44年)で大ヒットを飛ばしていたズー・ニー・ヴーの新曲として採用して『ひとりの悲しみ』(昭和45年/作詞:阿久悠)というタイトルでリリースした。しかし、「安保闘争で挫折して青年の孤独」をテーマにした歌詞は、受け入れられずヒットしなかった。それでも、諦めない村山は、再度、阿久悠に歌詞の書き直しを依頼し、尾崎紀世彦が歌うことになり、結果、大ヒットとなった。
『いい湯だな』
昭和41年2月発売 歌:デューク・エイセス 作詞:永六輔 作曲・編曲:いずみたく
レーベル:東芝音楽工業
昭和44年にザ・ドリフターズがカバーし、知名度が急上昇した曲だが、オリジナルは、昭和41年にデューク・エイセスが「にほんのうたシリーズ」の一曲として発表。「にほんのうたシリーズ」は、永六輔・いずみたくコンビが作った日本各地のご当地ソングをデューク・エイセスが歌うという企画で、昭和41年から45年の間に、両A面シングルで計52曲、LPレコードが4集発売された。昭和41年のレコード大賞企画賞を受賞。“京都 大原 三千院”でお馴染みの『女ひとり』も同シリーズの一曲。『いい湯だな』は群馬県内の温泉地、草津、伊香保、万座、水上が登場するが、ドリフ版『いい湯だな ビバノン・ロック』では、登別、草津、白浜、別府になっているなど、歌詞の一部が違い、アレンジも異なっている。