昭和歌謡文化の輝きを後世に繋ぐことが、本会の目的です

第3回研究発表会(2015/8/9)

3rd-1-01

第三回研究発表会 

A Midsummer Night’s Dream 情熱カーニバル2015


◆日時

2015年8月9日


◆会場
HUB浅草店


◆プログラム
・第一部/昭和歌謡研究発表 “語る、歌う”トークショー
・第二部/昭和歌謡ライブ『情熱カーニバル2015』
・第三部/ご当地ソング愛好ライブ『浅草・下町アンソロジー』


◆出演者
仲村瞳(ボーカル)、0TU1(ボーカル)、早坂のぞみ(ボーカル)、サリー久保田(ベース)、

国吉静治(フルート)、中森泰弘(ギター)、中山努(キーボード)、 笹井享介(ドラムス)、

松本健一(サックス)、井谷享志(パーカッション)、ゲスト・平塚新太郎(日本最長老の流し)


セットリスト&曲解説

 

『想い出の渚』
昭和41年11月発売 歌:ザ・ワイルドワンズ 作詞:鳥塚繁樹 作曲:加瀬邦彦 編曲:森岡賢一郎
レーベル:東芝音楽工業
平成27年4月、惜しくも74歳で生涯を閉じてしまった偉大なる音楽プロデューサー、加瀬邦彦がリーダーを務めていた『ザ・ワイルドワンズ』(50万枚セールス)の大ヒット曲。50代にとっては、オリジナルよりも『ハンダース』(清水アキラ率いるコメディ集団)によるカバー『ハンダースの想い出の渚』(昭和53年/40万枚セールス)のほうが馴染み深いかもしれない。様々なアーティストがカバーしていることもあって、広い世代に親しまれている。時代を超えた夏の名曲である。加瀬邦彦によって12弦ギターの存在を知った人も多いと思う。メインボーカルは、ドラムの植田芳暁だが、全員が曲に応じてボーカルを担当するグループで、この曲においては、作詞の鳥塚繁樹がボーカルを担当している。


『お祭りの夜』
昭和46年9月発売 歌:小柳ルミ子 作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎
レーベル:ワーナー・パイオニア
小柳ルミ子のデビュー曲『わたしの城下町』の3ヶ月後に発売された曲。平尾昌晃、安井かずみコンビにより、『わたしの城下町』と『お祭りの夜』はほぼ同時に作られ、どちらをデビュー曲にするかで議論が白熱したという。平尾昌明は「大人の童謡を作れば、歌謡曲の幅も広がる」と考えたが、年輩の作詞家に頼んでしまうと、今までの童謡や民謡と変わらないものができてしまうという思いもあって、若い感性を持つ、安井かずみ(当時32歳)に作詞を依頼した。編曲を手掛けた森岡賢一郎は日本を代表する編曲家の一人で、日本レコード大賞編曲賞受賞曲に、昭和41年『君といつまでも』、『逢いたくて逢いたくて』、昭和42年『ブルーシャトウ』、昭和43年『恋のしずく』がある。


『夏の夜祭り』
昭和48年発売 歌:北見恭子 作詞:あさひな和彦 作曲:馬飼野俊一 編曲:馬飼野俊一
レーベル:日本コロムビア
山形県出身の演歌歌手・北見恭子のデビュー曲。高校2年生の時に山形放送『ミス民謡コンクール』で優勝経験もある実力派。プロダクションは山形県出身歌手育成のために作られたジョイ企画で、デビューまもなくから、山形テレビと山形放送でレギュラー番組のほか数多くの歌番組に出演。当時、山形ではテレビで北見恭子を見ない日はないといえるほど、プロモーションが盛んに行われていた。ご当地アイドルの先駆けともいえる存在である。昭和58年からは作曲家の船村徹に師事。ここ数年も毎年新曲を発表しており、平成24年には岡千秋とのデュエット『帰るのね』がある。コンサートの収益金の一部を海難事故支援へ寄付する等の活動を続け、平成10年には農林水産大臣より感謝状を授与されている。


『夏模様』
昭和58年6月発売 歌:柏原芳恵 作詞:微美杏里 作曲:松尾和彦 編曲:萩田光雄
レーベル:フィリップス・レコード
柏原芳恵といえば、皇太子徳仁親王(こうたいしなるひとしんのう)が熱烈なファンだったことでも知られているアイドル。その代表曲といえば、「♪紅茶のおいしい喫茶店〜」で、お馴染の『ハロー・グッバイ』(昭和56年/作詞:喜多条忠 作曲:小泉まさみ)。柏原芳恵は、当時のアイドルとしてはめずらしく秋や冬がよく似合う、どこか哀愁を感じさせるイメージを持っていた。その中で、第16弾目のシングル『夏模様』もやはり、夏の曲といえども、晩夏のものさみしいムードが伝わってくる。この歌の主人公は、彼と別れたあの夏の日を回想するというせつなさ。その作詞の微美杏里は、女優の藤真利子の作詞家としてのペンネーム。女優らしくビビアン・リーの名をもじっている。


『裸のビーナス』
昭和48年6月 発売 歌:郷ひろみ 作詞:岩谷時子 作曲・編曲:筒美京平
レーベル:CBSソニー
郷ひろみの5枚目のシングル曲。昭和48年度のオリコン年間ランキングで16位を記録(1位は宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』)、第4回日本歌謡大賞、放送音楽賞を受賞。岩谷時子・筒美京平によるシングル曲はデビュー曲『男の子女の子』から4枚目。他の歌手への楽曲も含め、岩谷・筒美コンビが手掛けたのは60曲に及ぶが、一番のヒットを記録したのは郷ひろみで、『裸のビーナス』の3ヶ月前に発売された『愛への出発』であった。昭和48年の歌謡界はアイドル歌手の活躍が目覚ましく、山口百恵、桜田淳子、キャンディーズ、あべ静江、浅田美代子、栗田ひろみなどのレコードデビューで活気付いていた。この頃より、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の三人が「新御三家」と呼ばれるようになる。


『夏の日の思い出』
昭和40年2月発売 歌:日野てる子 作詞・作曲:鈴木道明  編曲:前田憲男
レーベル:ポリドール
昭和40年代、夏になるとビアガーデンなどで、この曲が繰り返し流れていたので、60代〜70代にはとくに馴染のあるメロディだと思われる。昭和を代表する夏のスタンダードナンバーのひとつである。この曲は、100万枚を超える大ヒットとなり、日野てる子は「ハワイアンの女王」と呼ばれ一躍スターダムにのしあがった。ムームーを着て、黒髪にハイビスカスの花を1輪飾ったその姿が彼女のトレードマークのようになった。この曲は、当初「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー」のシングルB面曲だったが、大ヒットしたため、後にA面にしたジャケットに差し替えて発売されている。サザンオールスターズの原由子がアルバム『東京タムレ』のなかでカバーしている。


『Mr.サマータイム』
昭和54年3月 歌:サーカス 作詞:Pierre Delanoe 作曲:Michel Fugain 日本語詞:竜真知子 編曲:前田憲男
レーベル:アルファレコード
フランスのシンガーソングライター、ミッシェル・フュガンの作曲の「Une Belle Histoire」(美しい話)の日本語カバー曲。100万枚を突破するセールスを記録、サーカスの最大のヒット曲となった。オリコン1位を獲得し、この曲で、『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場した。「待ちぶせた誘惑」、「ひとときのあやまち」、「誘惑の熱い砂」など、畳み掛けてくる背徳ワードがひと夏の危険な恋を感じさせる。原詞の方も、ある夏の日、ハイウェイですれ違った若い男女のいきずりの情事を描いている。サーカスは、3人姉弟と従姉からなる4人組のコーラスグループ。ハートウォームなコーラスワークと個々の歌唱力はハイレベルで、日本におけるアカペラグループやコーラスグループの先駆的存在である。


『真赤な太陽』
昭和42年5月発売 歌:美空ひばり 作詞:吉岡治 作曲:原信夫 編曲:井上忠夫
レーベル:日本コロムビア
昭和42年3月に発売された『ブルー・シャトウ』で大ヒット中であった、ジャッキー吉川とブルーコメッツと美空ひばりが組んだ曲。グループ・サウンズの演奏で国民的スターが歌い、140万枚の売り上げを記録するという、グループ・サウンズ黄金時代を象徴する1曲でもある。美空ひばりは当時30歳。流行のミニスカートをはき、ゴーゴーダンスを踊って歌うなど、それまでのイメージを一新する演出が大きな話題を呼んだ。もともと、芸能生活20周年記念アルバム『歌は我が命~美空ひばり芸能生活20周年記念』に収録するために製作された曲であったが、スタッフや母の加藤喜美枝の評判が高く、アルバムからシングルカットに変更されたと伝えられている。


『夏に抱かれて』
昭和54年5月発売 歌:岩崎宏美 作詞:山上路夫 作曲・編曲:馬飼野康二
レーベル:ビクター音楽産業

岩崎宏美の17枚目のシングル曲。中森明菜が『スター誕生!』の本選初出場の際に歌った曲としても知られている。「みんな外国へ行くのね、独身貴族ね」という歌詞に、当時、独身者の海外旅行がトレンドとなりつつあったことが表れている。ガイドブック『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)の創刊もこの年である。昭和54年4月18日の毎日新聞によると、同年の海外旅行先ランキングは、1位がハワイ、2位が台湾、3位が韓国であった。山上路夫・馬飼野康二コンビの作品は他に、アニメ『ベルサイユのばら』のオープニングテーマ『薔薇は美しく散る』、エンディングテーマ『愛の光と影』などがある。岩崎宏美は、昭和50年に16歳でデビューし、今年で歌手生活40周年を迎えた。


『サクセス』
昭和52年3月発売 歌:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:千野秀一 レーベル:東芝EMI
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの9枚目のシングル曲。昭和52年の資生堂CMソング(資生堂アクエア)に起用され、春から夏にかけてヒットする。当時、資生堂のCM音楽をプロデュースしていたのは、“日本初のCMディレクター”と呼ばれる大森昭男であった。大森昭男は「三ツ矢サイダー」のCMに大瀧詠一を起用するなど、無名だったシンガーソングライターに次々に作曲を依頼。山下達郎、坂本龍一、鈴木慶一、大貫妙子、矢野顕子などの才能もいち早く見抜き、世に広めた。多くのヒット曲を誕生させ、“CMソングはヒットする”という道筋を作った立役者といえる。編曲を手掛けた千野秀一は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの後期メンバーでキーボードを担当していた人物である。


『砂に消えた涙』
昭和40年発売 歌:伊東ゆかり 作詞:A.Testa・P.Soffici・漣健司 作曲 作曲:A.Testa・P.Soffici 編曲:東海林修 レーベル:キングレコード
ミーナ(Mina Mazzini)の「月影のナポリ(Tintarella di luna)」(昭和34年)と並ぶ日本での代表曲。ミーナによって、『砂に消えた涙(Un Buco Nella Sabbia)』が昭和39年にイタリア国内で発表された時は第7位だった。しかし、昭和40年のLP売り上げランキングでは、この曲を収録した 『Studio Uno』が、ビートルズやローリング・ストーンズを抑えて堂々第1位となっている。和製ポップスブーム時代の代表的なヒット曲のひとつで、この曲は、伊東ゆかりの他にも、弘田三枝子、ザ・ピーナッツ、黛ジュン、竹内まりや、矢沢永吉、桑田佳祐など、多くのアーティストがカバーしている。ミーナ本人による日本語バージョンもあり、たどたどしい日本語がよりせつなさを醸し出している。


『夏をあきらめて』
昭和57年9月発売 歌:研ナオコ 作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:若草恵
レーベル:キャニオン・レコード
昭和57年7月、サザンオールスターズがリリースした5作目のアルバム『NUDE MAN』に収録されていた曲を研ナオコが同年9月にシングルでカバー。TBSテレビ『ザ・ベストテン』では、『かもめはかもめ』(昭和53年)、『窓ガラス』(昭和53年)に続き、4年ぶり3回目のランクインとなった。第24回日本レコード大賞金賞(桑田佳祐は作曲賞)、日本有線大賞優秀音楽賞、日本有線放送大賞最優秀スター賞を受賞している。同曲で、『第33回NHK紅白歌合戦』に6回目の出場を果たしている。歌詞に登場する『HOTEL PACIFIC』は、上原謙と加山雄三が親子で経営していた『パシフィックパーク茅ケ崎』のことである。若き日の桑田佳祐は、このホテルでアルバイトしていたらしい。


『め組のひと』
昭和58年4月発売 歌:ラッツ&スター
作詞:麻生麗二 作曲:井上大輔 編曲:井上大輔、ラッツ&スター レーベル:EPICソニー
もともと『シャネルズ』だったグループ名を『ラッツ&スター』に改名したあとに、はじめて発表された楽曲。昭和58年、資生堂の夏のキャンペーンソングに起用するために「シャネルではまずい」ということで、改名することになったとも伝えられている。その年のオリコンチャート1位を獲得し、売り上げ80万枚を超える大ヒットとなった。平成26年には倖田來未が、平成27年にはギルドがカバーしている。作曲の井上大輔は、『ジャッキー吉川とブルーコメッツ』のボーカル・フルート・サックスを担当していた。同バンドでも、『青い瞳』(昭和44年)、『ブルー・シャトウ』(昭和42年)などの作曲を手がけている。『シャネルズ』のデビューから、多くの楽曲を提供している。


『東京ラプソディー』
昭和11年6月発売 歌:藤山一郎 作詞:門田ゆたか 作曲:古賀政男 編曲:高橋孝太郎
レーベル:テイチク
作曲家の古賀政男が『東京行進曲』(昭和4年/歌:佐藤千夜子 作詞:西条八十 作曲:中山晋平)にインスパイアされ、モダンな東京の姿をイメージして作られた曲。藤山一郎は、この曲を「銀座、神田、浅草、新宿と、東京の盛り場を楽しく歌いあげた清潔にして軽快なフォックストロット調の歌」と解説している。フォックストロットとは社交ダンスのひとつのスタイルである。メロディーは、古賀政男がフォードのクーペの新車で初夏の明治神宮外苑付近を走っているときに、自然と浮かんできたのだとか。同年12月に同名の映画が公開され、ヒットを記録。主演を藤山一郎、音楽監督を古賀政男が務めた。今でも、戦前の音楽映画の傑作と評されている。


『東京の屋根の下』
昭和23年12月発売 歌:灰田勝彦 作詞:佐伯孝夫 作曲:服部良一 編曲:灰田有紀彦
レーベル:ビクター
戦後まもない年の曲でありながら、「夢のパラダイス」、「映画にレビューにブギウギ」、「世界の憧れ」など、華々しい東京の姿が歌われている。服部良一は、敗戦の悲嘆に沈む日本人の活力につながるようにと、この前年の昭和22年に『東京ブギウギ』を発表。同曲のヒットで、立て続けにブギウギものを作る。服部良一が昭和23年に作曲し、タイトルに「ブギ」が付く曲は、『さくらブギウギ』『ヘイヘイブギ』『博多ブギウギ』『ジャングルブギ』『大阪ブギウギ』『北海ブギウギ』『これがブギウギ』『ブギウギ娘』『ブギウギ時代』(※歌は全て笠置シヅ子)、市丸が歌った『三味線ブギウギ』『ブギウギ音頭』と、11曲にも及ぶ。笠木シヅ子は「ブギの女王」と呼ばれ、服部良一とのコンビでブギの黄金時代を築いた。


『ちょっと待って浅草』
昭和61年7月発売 歌:北原ミレイ 作詞:染太郎 作曲:さかうえけんいち
レーベル:徳間ジャパン
大阪出身のフォークシンガー・鎌倉研の代表曲。昭和61年に北原ミレイ版が発売される(鎌倉研版は平成16年に発売)。鎌倉研は、80年代に西浅草二丁目のお好み焼きの老舗「染太郎」にて書生生活を送っており、それがきっかけで「染太郎」の社長が歌の作詞を手掛けることとなる。鎌倉研は、昭和52年のヤマハポプコンで作詞賞受賞の後、タイで難民キャンプに滞在、豊島区で塾の経営や、大阪のミニコミ誌『よみうり情報Jom』で編集長を務めるなど、異色の経歴を持つ。現在も関西を中心に活動を続けている。ちなみに、さかうえけんいちが作詞・作曲を手掛けた『ちょっと待って東京』という曲も存在する。


『お祭りマンボ』
昭和27年8月発売 歌:美空ひばり 作詞・作曲・編曲:原 六朗
レーベル:日本コロムビア
作詞家であり作曲家でもある原六朗が、その当時ブームになっていたマンボのリズムに乗せ、お祭り好きの江戸っ子気質をモチーフに作詞・作曲・編曲のすべてを担当した傑作。原六朗は、日本橋馬喰町の出身なので、歌詞には江戸っ子らしいリアリティがある。美空ひばり自身もこの曲がお気に入りで、昭和63年の東京ドーム公演や数々のテレビ番組で披露している。平成3年には『忍者』(ジャーニーズ事務所)が、歌詞の一部を変えてカバーシングル『お祭り忍者』を発表している。平成22年には、美空ひばりと親交の深かった岡林信康が、アルバム『レクイエム〜我が心の美空ひばり』の中でカバーしている。平成27年6月から東京メトロ銀座線神田駅の発車メロディーに採用された。

  • Facebook
  • Hatena
  • twitter
  • Google+
  • LINE
PAGETOP
Copyright © 昭和歌謡文化継承委員会 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.